ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

全体の利益と部分の利益


意識は
身体という空間を支配する王様のようにふるまう


裸の王様だ
何でも知っているようなつもりになっている


熱にうなされたり
臓器の痛みに悩まされ
何も考えられない


そんな状態のことを
からりと忘れて
身体に対して権威を振りかざし
忠誠の度合いさえ推し量る


この狭い小さな世界の
神様にでもなったつもりでいるのかもしれない


全体を統括するということは
そういうことなのだろう


この意味で
意識は全体主義の猛者である
部分の不備が顕在化するまでの間を
謳歌する


調子に乗りすぎて
部分をないがしろにすると
終末が早く近づくことにもなるのだろう


盛者必衰の理をあらわす祇園精舎の鐘の声は
内側から沸き上がり
外へ外へとじわりと広がり消えてゆく


悲鳴をあげる臓器もあれば
沈黙の臓器もある


細胞は日々増えながら死んでゆく


死にながらシステムが維持されるのだ
使い古された部分は除去され
新しい部分に置き換えられなければ
システムは機能不全に陥るからだ


確かに我思うゆえに我はあるけれど
ただ思うだけで私があるのではない
智だけではない
知だけでもない
血が血管のなかを循環しなければ始まらない


一粒の赤血球を笑う者は
一粒の赤血球に泣くのだ


では
この一粒の赤血球に
どのような権利が付されるべきなのだろうか?


一円玉は法律で保護されている社会的存在だ
これと同様な権利が
身体を構成している一粒の赤血球にもあるのだろうか?


たまにそんなことを考えながら
健康に留意するのも
王様たる意識の務めだろう


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メモ
安藤肇、大屋雄裕著「法哲学と法哲学の対話」有斐閣
難しい本であと数回読んでもきっと半分も理解できない。
「著者の死」ではないけれど
著作の中で著者は読者に無視される宿命と割り切り読むのも
読書の内とお許し願いたい。
刺激的な本です。


ありがとうございます。

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