ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

私の魂を守り育てる私の祈り


人間は
生れて動き回り死んでゆく
これを繰り返している


私が繰り返しているのではなく
人間が繰り返しているのではあるが
なんとなく
私も、「また生まれ変われる」といわれると
そんな気がして
その気になって
次に生まれてくるときのことを夢想できたりする


しかし
これが可能となるには
私の存在が
死んでしまう肉体から分離する必要がある
これは
コンピュータに記憶された情報としてのソフトが
コンピュータ外部記憶装置に移され
バックアップされるようなイメージだろうか


であるならば
私の魂をつなぎとめる
外部記憶装置にあたる秩序ある物質の塊が必要になろう


そんなものがなくても
魂は存在できるというのは
物質とその機能を分離可能とする考えだ


心臓と血液の流れが
それぞれ独立して存在しているというような考え方だ


思考する時には
それぞれを別々に思考できる
だから
そんな夢もみれるのだろう


思考は純粋に思考として存在している


そんな風に
都合よく
見てしまいたくなるのだろう


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メモ


本を読むとき
その意味を追いかけ
紙とインクが織りなす文字の模様のことなど
置いてきぼりになる


ギターの演奏を聞くとき
その音色を追いかけ
弦が空気を振動させる様子のことなど
置いてきぼりになる


何かを考えている時に
別の何かを置いてきぼりにしている


朝起きる時
意識が覚醒するという機能が働く
ただ意識だけが動き始めたわけではないだろう
意識以外の理由がきっと何かある
その何かに感謝しなければならない


私の魂が
朝に再び活動を始める


私が再び活動をしたいと思ったから
再び活動を始めたのではない
「何か」が私を再び活動させたのだ


その「何か」が
私が死んでも存在していれば
私は生まれ変わることができるのだろう
だから
私が私であるために
その「何か」を大切に維持し続けなければ
私は朝おそらく起きれなくなるのだろう


その「何か」を大切にするために
今日も
栄養を取り
適度な運動を行うだろう


「私の身体と魂の継続のためになりますように」
このようにお祈りしながら
栄養を取り
適度な運動を
時に「つらい」と思いつつも
繰り返してゆくのだろう


私の魂を私が守り育てるのだ

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