ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

情報共有化の賜物としての言語活動


様々な物理的状態を
感覚をとおして情報化する


個々の動物が行う
環境との相互作用は
知覚をとおして行われている


嫌なものから遠ざかり
好ましいものには近づく



言葉は
外部の情報を知覚する手段だ


知っている言葉は言葉として聞こえるが
知らない言葉は音にしか聞こえない


人間が発する知らない言語より
鶏のコケコッコーや
鶯のホーホケキョのほうが秩序だって聞こえる




ものごころがつき
大人が話すことを少しわかるようになると
知っている言葉を何でもかんでもしゃべりたくなる
そしてついつい
「王様ははだかんぼうだ」などとしゃべってしまう
、、、情報を共有できていることをアピールするのだ


もう少し成長すると
自分がしゃべることに大人が反応することを覚える
そして
「オオカミが来た」
この嘘に右往左往する大人を面白がったりする
、、、自分が発した情報を共有してもれらえることを楽しむのだ


もう少し成長すると
言ってはいけないことをちゃんと覚える
それでも知っているとついついしゃべりたくなり
穴を掘ってそのの中に向かって
「王様の耳はロバの耳」などと叫んだりする
、、、言葉を差し控えたりと
その使用方法を自分以外の者と同質化するのだ



人間は
物理的な状態のひとつとして
物質化された情報を情報として取り出す能力を授かった
その能力により
感覚として取得する環境情報に加えて
他者の発する情報を情報として知覚することになった
すなわち
物質環境に加えて
情報環境を知覚できるのである
さらには
環境に情報を振りまいたりすることもできるのである


このような情報のやり取りの中で
情報の共有化が人間の間で実行される


言語体系はむろん
道徳や法律イデオロギーに科学の法則
様々な情報が
環境にふりまかれ
共有化が指向される
しかし
この共有化が一筋縄でゆかないので
共有する情報に応じて小集団ができたりする


異なる情報を排除しようとしたりする


都合の悪い情報を排除したりしようとする



いきるために情報を使うはずなのに
情報を扱うために生きているようにもなってしまった
本末転倒といえば、そうもいえるのだろう


それでも情報を追いかける
手段の目的化だ
哲学は最たるものかもしれない


空即是色 色即是空


情報は
実体のない絵に描いた餅である
されど
絵に描いた餅に踊る生き物がいれば
その生き物にとっては
貴重な絵に描いた餅である


意識は所詮死ねばなくなる個人の情報である
されどそれしか個人として情報は持ち得ることはできない
かりに意識にある情報を外部に描きだしたにしても
それはもはや意識ではなく
情報がこびりついた動かない物質にすぎないのだ


生きる手段は
生きている間のみ有効なものである
それでも
生きる手段としての意識は
生きている間は
生きている全体を見つめつづける情報機関だ
私だけの私をもたらす
すべてであるのだ


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メモ


情報化は個体レベルの反応だ
情報共有化も個体レベルの反応だ
されど
情報の共有化により集団の情報が形成される
共有化の程度が高いほど真実性が高くなる
一般論であるが
真理はそんなものかもしれない
集団心理として形成される真理である
この真理が良きものであれば
良き集団が形成されるのだろう


改ざんされたり
都合の悪い情報を破棄したり
そんな
胡麻化した情報で維持された秩序は
壊れやすい集団になるのだろう


情報の劣化は
社会の劣化である


個人の劣化にもなるのだろう


もし策略に満ちた情報に囲われていると
洞穴の中に閉じ込められたような
窮屈な思いをすることになるのだろう


それを楽しむ余裕があれば
それもよいのだろうが、、、
離れたくもなるのだろう


ありがとうございます

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