内臓の配下にある理性
自分の命の終わりを
自分で決められないのは
人間の理性なんてものが
巨大な生命という権力の構造の中で
まだまだ
ひよっこだから仕方がないだろう
つらいことがあり
食欲が減退しても
たいがい
またお腹が減り食欲が復活する
いくら高尚で美しいことを考えていても
尿意や便意が始まると
「どこのトイレにいつ行くか?」
この疑問がどんどん尊大になって
考えていた高尚で美しい事柄は
どこかへ霧散する
思考は
内臓の配下から脱することができない
この現実に
人の理性は立ち向かうことをせず
場当たり的な言い訳で逃げ回る
逃げ回るためのへ理屈が
膨大な知識となって
消化管と共に
後世へと引き継がれてゆく
理性はそんなお調子者だ