ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

淀みの水 滝の水


川の水をすくうと
水と一緒に
様々な微生物をすくうことになる


ミドリムシや
ゾウリムシ
ミジンコや
ボウフラまですくうことになるかもしれない


生命に満ちた水は
生き生きとしている


これと同じように
生き生きとした言葉をすくうと
言葉と一緒に
様々な意味をすくうことになる


物質的な背景としての意味や
動きとしての意味や
観念や感覚としての意味までも
すくいとることになる


生き生きとした自然の中にあって
何がすくいとられてくるのかは
漠然と決まっているだけで
細かなところは時の運で決まってくるところがある


例えば
「寿司」という言葉も
「にぎり」を連想させることも
「軍艦」を連想させることもある
「食事」を連想させることも
「美味い」「不味い」「好き」「嫌い」を連想させたりもする


言葉の連想を仲介しているのが
すくいとられた”意味”であり
何がすくいとられたかにより
連想されてくる言葉が
「中トロ」になったり
「蒸しエビ」になったりする


何がすくいとられるのかは
なんとも運次第な所があるけれど
すくいとってしまえば
その意味がすくいとられる運命であり
他の意味はなかったことになってしまうのは
なんとも小気味よく潔い


言葉も
意味との一期一会を楽しんでいるのだろうか?


余計な意味の混じらない言葉は寂しいものだ


アルコールも砂糖もイオンも何もはいっていない
純粋な水には味がないように
純粋な
意味の混じっていない言葉は
どこか味気ない無の世界だ


言葉だけが流れ
音として消えてゆく


小鳥のさえずりが
漠然とした朝を告げている


そんな音でさえ
何かの意味がありそうに思えてくる


なかなか純粋な無の世界は描けない


意味の連想が止まらない


頭の中には
さぞかし濃い水が流れているのだろう


淀み悪臭を放つようになる前に
清流の滝を眺め
袋小路の中で右往左往している連想に
新しい水を流し込みたい

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