ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

知性主義と反知性主義


ちゃんとした言葉がなくても
猫も犬も
食べれるものと
食べれないものの微妙な違いが判るらしく
鼻を近づけ臭いをかぎ
食べたり
横を向いて食べなかったりする


「いい匂いがする」という言葉がある


この言葉を聞くと
鼻を近づけその匂いをかぎたくなる
そして
「ああ、いい匂いだ」と
同意することもあれば
「えー、そうかなあ。あまりい臭いではないよ」と
同意しないこともある


このようなやり取りは
臭いを嗅ぐという猫や犬もやる行為と
言葉を交わすという
いかにも人間らしい行為の複合的な行為だ


知性主義は
「いい匂い」が言葉として明確にする立場であるのに対して
反知性主義は
「いい匂い」の定義は言葉ではなく感性に任せる立場であり
言葉として明確には定義しない立場にある


言葉を持っているのだから
言葉をもっときちんと使い
もっときちんと応用すれば
もっと良い世界が開けると考える知性主義は
管理世界を築き
物質や動物や人間や環境を支配する技術を進歩させてきた


言葉がなくても
技術がなくても
犬や猫は立派に生きている
そんな反理性主義は
技術革新のなかで
虐げられた昔ながらの人間性にやさしく寄り添ってきた


理性的に過ごしたい時もあり
感性を大事にしたい時がある


感性を大事にしたい時に
猫がひざ元にいるとありがたい


言葉が感性を虐げ押し殺そうとしている時に
猫をさすり
猫のゴロゴロと喉を震わせる音を
言葉の替わりに聞き続けたい


あわよくば
このまま猫になり切りたい


矛盾というものは
存在しているから
矛盾という言葉がある


知性主義と
反知性主義が
同居しながら
それぞれの持ち場を請け負っているようだ

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