ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

トリプルワールド75


花火が打ち上げられ
爆音とともに光の花が開く


花火を遠くから見ていると
花火が開いてしばらくしてから
ドーンという音がこちらに届いてくる


同時に発生したはずの
花火の光と
花火の音を
時間をずらして知覚する


知覚の世界において
光の時空と
音の時空は
それぞれ独立して存在しているということだ


この独立した世界を
統合して
花火が開くと同時に光と音が現れたが
音が遅れて到着したと認識する


そして
光や音は内部の知覚で
花火は外部で起きている現象と認識している


花火が身体の内部で爆発したら大変だ
やはり花火は
外部で爆発し眺める方がいい


花火の爆発の中心から遠ざかれば遠ざかるほど
花火の花は小さく
花火の音の小さく知覚される
光と音の到達時間のずれは大きくなる
そして
知覚で花火を見ることなく
遠くで見たり聞いたりしているだけでは
花火の光とその音の関係を
関連付けることもままならないのかもしれない


目の前に見えている文字と
遠くで花開いている花火
どちらも
私の意識からはとても遠いところに存在している


死者が棲む世界と同じくらい遠くに
存在しているとも言えるだろう


それでも
死者が棲む世界よりも近くに存在しているように感じるのは
知覚として慣れ親しんでいるからなのだろう


良く見聞きする言葉は
近い存在で有り
知らない言葉は
遠い存在だ


私の身体が
私のものだと感じるのも
いつも私の意識とともに存在し
慣れ親しんでいるからなのだろう


本当は手も足も
意識から遠い遠い
とても遠いところに存在している
ただ
頻繁に刺激と反応を繰り返しているから
近しい関係が維持されている


意識とその外部と認識される存在は
空間の近さではなく
反応で結ばれている


手や足が自由に動くのは
手や足の自由ではなく
意識の支配であり
思うように手足が動くのは
手や足の反応がもたらす意識の至福である


慣れ親しんだものが
慣れ親しんだように存在している


個の至福の中で
意識が帰納法を愉しんでいる

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