ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

浮遊から習慣への目的の進化あるいは昇華


逆は必ずしも真ならず


お風呂に入れば気持ちよい

気持ち良いのはお風呂に入ったからとは限らない


「気持ち良い」という結果に至る道は
沢山ある


仮に
今、気持ち良い状態にあるとすれば
すでに
「気持ち良い」という結果を得ている状態であり
お風呂に入り「気持ち良い」を導く必要もないかもしれない


お風呂に入れば気持ち良い


これが真実であったとしても
お風呂以外の「気持ち良い」に至る道に邁進していれば
「気持ち良い」を得るためにお風呂に入ることはない


お風呂に入らなければ怒られる
お風呂に早く入らなければ次の人が入れない


このようなことが
現実的には
お風呂に入る動機になっているかもしれない


気持ちよくなる
怒られないようにする
次の人が入れるようにする


お風呂に入るのにも
沢山の目的があるようだ


その目的に応じて
あるいは
置かれた状況に応じて
お風呂に入る動機が高揚したり消失したりする


フロメンド(風呂面倒)現象は
このような思考浮遊の反映なのかもしれない


様々な目的を思考する浮遊の中で
お風呂に入ることが実践され
この実践が習慣化されてくると
「習慣だから」という理由すらも
お風呂に入る動機になってゆく


「習慣を満たす」ことが目的になるということだ


これは
実践をする習慣を実践する目的と為すことであり
実践のために実践を重ねてゆく循環の形成だ


思考浮遊が
循環する思考に変換され
より自由度のない制限的な思考に変質してゆく


習慣による循環が
自由を収監してゆく


こうして
自由は
習慣により収監され
循環する世界へと成熟してゆくのだろう

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