習慣と形而上
習うより慣れろ
そう言われているし
慣れれば、いろいろ考える必要もなくなり
なんだか楽になる
なぜそうしなければならないのか?
その理由を突き詰めるまでもなく
習慣として流されていればよいからだ
なぜ白色を「白」と言い
1+1は「2」であることの理由を
突き詰めて説明することなく
それはそれとして慣れればよい
そのことにより
白色を「白」で
1+1は「2」である理由を問うことなく
それを前提とした課題について
思考することができる
パラダイムシフトだ
なぜ毎日お風呂に入らなければならないのか?
なぜ食後に歯を磨かなければならないのか?
その理由を突き詰めてながら
これらの行為を実践するのではなく
ただ何となく
習慣として
お風呂に入ったり
歯を磨いたりすれば
その他の課題に思考を集中できるということだ
野球やサッカーのチームのファンである理由は
ファンになった理由はそれそれあるかもしれないが
その理由がなくなった後でも
ファンでい続けているからファンだ
さしたる理由がなくても習慣でファンを続ける
そして
ファンである以上
そのチームのことを愛することにより
負けが込んでも
不祥事を起こす連取がいても
なんとなく許容してしまったりする
パラダイムが変わってしまったのだ
ファンでいることを障害するようなことを
忌避するようになってしまっているのだ
項のようにして
さしたる理由がなくても
白色は「白」であり
1+1は「2」であり
毎日お風呂に入り
食後には歯を磨き続ける
そうしなければ構造に入り込んでしまい
そうしないようにするために
努力をしなければやめれないように
パラダイムが変わってしまっているのだ
習慣であることが
理由であり
それを維持することが目的にすらなっている
そのようにして
命は生きている
ハエもカも人間も猫も同じで
きっと神様も仏さまも法律も
そのようにして存在してるのだろう
習慣が形而上であるからだ
習慣を実践するために
習慣付けがなされ
習慣の実践が目的化してゆく
習慣の
習慣による
習慣のために実践がある