ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

自由と脱自由


言葉の世界は
現実の世界との整合性を無視すれば
世界を
もっともっと自由に描くことができる


伝説の生き物は
現実にいても、いなくても
言葉の世界にはどちらでも良い
それでこそ
言葉の世界の自由であり
現実にいる動物に似ているようでは
自由も途半ばだ


「現実にないものは
 言葉にしてはならない」
なんて規則は反自由主義の賜物だ
それでは
言葉の世界は
現実の世界に忖度しなければならず委縮してしまう


委縮して
現実との整合性を測りながら
どんどん言葉を積み重ねてゆくから
現実と相性の良い
それはそれで
とても便利な
現実的な言葉の世界が出来上がる


嘘つきも正直者も
このような
現実的で規制だらけの言葉の世界の住人なのだけれど
嘘つきは
このような規制を守っているふりをして守らないから
トラブルになる


規則を守らないということは
赤信号でもお構いなしに交差点に進入したり
道路を逆走したりしてしまうことで
危険極まりない


ちょっとスピードを出し過ぎるような
みんなが犯している規則やぶりのような
小さな嘘もあり
「優しい嘘」などと言われることもあるのだけれど
規則やぶりの嘘には違いない


こういった
危険な嘘も
優しい嘘も
規則を「守らない」ことから生じるものであり
また
規則を「守れない」ことからも生じてしまう


前者は確信犯的な規則違反だが
後者は能力がないのだから仕方がない面がある


規則を守る技術と能力がないから
正直にはなれなくて嘘つきになってしまう


そんな「守れない嘘」であっても
嘘がばれると
その規則を律義に守っている正直者から揶揄されることになる


この揶揄により
言葉を操る技術と能力を持つ「選ばれし者」として
世界を支配する


このようにして
言葉の世界は
選ばれしものと
選ばれざるものを分別しながら維持されている


「選ばれし者」として言葉を御すために
表現の正確性を勉強し
表現すべきものを選りすぐる能力を高めてた者が
言葉を操るので
言葉の世界は自由を失い
多様性を喪失し現実的になり
より秩序だった
利便性の高いものへと改良されてゆく


自由を制御してこそ
言葉は有益に輝くのだ


脱自由という研磨があってこそ
言葉の世界に現実的な輝きをあたえる


しかし
脱自由という研磨が不完全に終わり
自由が現れてしまう


嘘とい揶揄され消滅する自由の傍らで
賛美され繰り返される嘘もあるから
言葉の本質としての自由は
消そうとして消しきれないものらしい


夢は
叶っていない夢は
現実には存在しない嘘である


言葉には
夢を見る自由がある


夢を見るから
嘘もつくのだろう


夢を夢として語り
現実を現実として語ることは
意外と難しい


頭の中で
混じり合っているからだろう


自然主義的誤謬も
道徳主義的誤謬も
現実と架空の混在から生じる
言葉の自由と脱自由の両義性がもたらす
ごくありふれた現象なのだろう

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