会話の進化
言葉は言うまでもなく
優れたコミュニケーションツールだ
人間が生命である以上
人間が操るこのコミュニケーションツールも
40億年の生命進化の過程で
発達してきた
単細胞生物の時代に
細胞同士で会話する技術が発達しなければ
多細胞生物が出現することは無かったろうし
多細胞生物の間で会話する技術が発達しなければ
社会を営む生き物の出現はなかっただろう
会話というのは
無論、人間中心主義的な比喩であり
実際には
一方が産出する刺激に対し
もう一方が約束された反応を返す現象が
単細胞の時代から
試行錯誤しながら進化し続けてきた
こう考えれば
細胞間の会話が
コミュニケーションツールの起源ではなく
細胞内の細胞内小器官の間にある関係にも
もっと言えば
分子と分子の間の関係にも
その起源をさかのぼることができるのだろう
アメーバが
義足を出し入れしながら移動するにも
細胞内小器官のさまざまなコミュニケーションがあってこそだ
アメーバの細胞内で
会話が成り立たなくなれば
細胞は
細胞の体を維持できずに崩壊してしまう
DNAが酵素などのたんぱく質と
相互作用しなければ
DNAも遺伝物質として機能することは無い
このような意味で
生命は会話の総体により維持されている
会話の成立が生であり
会話の不成立が死ということになるだろう
してみれば
会話こそ命の力ということになる
会話を途切れさせる言葉ではなく
会話を続けるための言葉を
投げ合いながら
命が紡がれて続けているのだ
相手が人であれ動物であれ
ささいなことで
意思疎通ができたと感じる瞬間がある
その瞬間に生命が躍動し
生きていることを実感することがある
そんなささいな会話の中で
進化の道が続いて行くのだろう
昔々
大昔に
DNAのご先祖様と
たんぱく質のご先祖様も
互いに触れ合い
何かを感じ
何かを動かしたのだろう
感じ動かし
感じ動かし、、、
いつまでも感じ合い動かし合い
子孫へと
会話を残し続けてきたのだろう