ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

自然選択


メスにオスが魅かれ
オスにメスが魅かれる


そんな仕掛けを創造したのが神様ならば
あるオスを拒み
別のオスを受け入れたり
あるメスを拒み
別のメスを受け入れる揺らぎを提供したのも
神様なのだろう


神は
報われる恋と
報われない恋という格差を設けた


なぜ
この格差を設けなければならなかったのかを検証するため
恋の過程を大雑把に
「魅了」「求愛」「成熟」の3段階に分けてみた


「魅了」は
恋への入り口だ
「人はパンのみに生きるものに非ず」ではないけれど
「人は恋のみに生きるものに非ず」なのだろう
生きることを構成する様々な要素のなかから
まず「恋」を選択しなければ
恋は始まらない


「求愛」は
恋の実践のはじまりだ
「魅了」は個々の個体の内部の課題であるのに対して
「成熟」は個体間の課題である
「求愛」はその中間にある
個体の課題は思考の領域を出ないが
個体間の課題は思考の領域を飛び出して
個体間の実践の領域に踏み込む必要がある
だから
まず個体の課題として
「思考」から「実践」に踏み込まなければならない
しかし
思考に比べ実践にはコストがかかる
このコスト負担を選択しなければ
個体の恋は「思い」に留まる


「成熟」
恋の完結だ
個体間において
双方向で「求愛」が実践され恋は完結する
すなわち
完結する個体は
コスト負担を選択したことになる
このコスト負担のデメリットを覆い隠す「魅了」があったればこそ
コスト負担が選択される


このように恋は
「魅了」 個体の課題
「求愛」 個体の実践
「成熟」 個体双方での実践
この三者が一体となって
「魅了」のすそ野に
「求愛」という実践が乗り
「成熟」という個体間の関係が頂きを形成している


「魅了」のすそ野が崩れれば
「成熟」の頂は崩れ落ちる
恋はそういう構造として創造されている


「動物は恋に生きるためのものに非ず」
このように創られているものだから
「成熟」は崩れてしまう構造なのだ


たくさんの課題を生きるから
恋の課題にばかりコストをかけられない
この事情が「叶わぬ恋」を生み出し
令愛格差を生んでしまう


恋ということではなくて
様々な課題も
同じような構造になっている
そして
人間は
課題を次々と増殖させることができるようにも作られている
だから
自分たちでどんどんと課題を積み上げて
それぞれの課題でどんどん格差を創り出す生き物だ


それぞれの課題のすそ野から
高い高い頂きを作り上げ
格差を先鋭化してゆくのだ


アカデミズムの構造は
まさにこの構想そのものだ


様々な領域で専門化が進み
一般人には理解しがたい言葉が飛び交い
その恩恵で自然を操る技術が進み
この成功が
さらなる課題の自己増殖を生み出し続けている
そして
それぞれの課題において
「魅了」され
「試行」がなされ
「成熟」して成果が生まれさらなる「魅了」が創生される
こうして
「魅了」「試行」「成熟」の円環的反応連鎖の過程で
様々な反応が淘汰あるいは選択しながら
課題が克服され
「成熟」の頂を高々と形成してゆく


人間社会の中で
自然選択のシステムが人為的に駆動し
格差を拡大し続ける


そして
分業の妙技が繰り広げられる


かつて
多細胞生物の進化の過程で
臓器の専門化が進み
これらの臓器間の協調関係が形成された進化の過程のように
社会の専門家と分業の調和が計られている


人は
社会という神の
臓器を司る細胞なのだろうか?


分業の檻の中から抜け出す自由に
もがく時があるのならだ
神の細胞になりきるという課題は
まだまだ成熟してはいない恋なのだろう

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