能動的反応:ご都合主義の展開してこそ
意識が
「考える故に我在り」と考えている間にも
私の細胞の中のミトコンドリアは
一生懸命ATPを産生している
顕微鏡が発明される前
ミトコンドリアという言葉がない時代にも
ミトコンドリアは
一生懸命にATPを産生し続けていた
もう
かれこれ20億年以上
ミトコンドリアは
ATPを産生し続けているらしい
このように
歴史をかいくぐり生き延びてきた
素晴らしい創造物をさておき
人間の美徳とは何かを
一生懸命考えなければいけないのが
人間の宿命らしい
人間には
ミトコンドリアを語れるようにもできているようだが
ミトコンドリアよりも美徳の話に
より大きな反応を示すようにできているようだ
長くて数百年の歴史しかない言葉の方が
20億年の歴史のあるミトコンドリアよりも
大事なのだ
意識の反応というものは
ミトコンドリアとは無関係な世界を流転しているから
ミトコンドリアなどにかまけてはいられないというのが
意識の事情であろう
意識には意識の都合があるのだから
ミトコンドリアよりも
美徳の方が重大事になるのも
仕方がない
能動的反応は
その担っている役割に応じて反応するようにできている
役割の都合に応じて反応することが肝腎だ
生命は
それぞれの使命に応じて展開される
ご都合主義的な能動的反応を都合よく集積して
維持されている
そんな生命秩序の片隅で
意識が
ミトコンドリアではなく
数万年の長きにわたり
人間の美徳が思考され語り継がれてきた
生きるためのとても大切なことだ