ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

能動的反応:反応の波紋


「生まれ変わったら、鳥になりたい」
ラジオから
こんな言葉が流れてきた


「ああ、鳥か。どんな鳥だろう?」と
私は頭の中で反芻しながら
「鳥になるなら、何の鳥になりたい?」と
隣の人に声をかけた


「ええ?何だろう」
しばらく考えていた隣人が
「カラスかな」と反応してくれた


「あれれ、意外だなあ。じゃあ俺はトンビ」
と反応を返した


「えっ。なんでトンビなの?」
「トンビが魚を捕ると、それを見ていたカラスが数匹で
 トンビを襲ってとった魚を奪うんだよ」
「えっ。そうなの。なんかカラスは意地悪だね」
隣人は「どうしようかな」と言いながら、しばらく考え
「やっぱり、スズメがいい」と自分の考えを訂正した


「スズメかあ。地味だねえ。シジュウカラの方が可愛くない?」
「シジュウカラってどんな鳥?」
「小藪の中にいる奇麗な小さなやつだよ」
「あの『ちっちっち』ってなく水色の模様の小鳥?」
「たぶんそれだよ。黒い帽子をかぶった小鳥だよ」
「かわいくていいけど、生態がよくわからないから、どうしようかな」
「やぶの中で控え目に生きているよ」
「大変じゃないかなあ。何を食べてるの?」
「えっと、それは、・・・・・」
・・・・


ラジオから流れてきた
「生まれ変わったら、鳥になりたい」という言葉が
能動的反応を次々と引き起こし
言葉の波紋を広げた


水面の波紋は
あらゆる方向に広がり
その波の高さを低くしてゆくのだけれど
言葉の波紋には
予測可能な法則が見つからない
波が向かう方向も
どんな高さの波になるのかも予測不可能なところがある


そんな予測不可能性を愉しみながら
会話が続いて行くと
とりとめもなく心が和らぐ


結論はいらない


続いてゆくことに命が宿る


言葉が紡がれてゆくように
命も紡がれてゆけばよい


命が紡がれてゆくように
言葉が紡がれてゆけばよい


結論はいらない
何気なく続いていけばそれでいい

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