ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

能動的反応:生命力と尊厳


プラナリアには
大きな再生能力がある


身体の大部分を失っても
元の身体を再生できる


軟体動物である
ウミウシにも再生能力がある


プラナリアは数センチの扁形動物で
ウミウシはそれよりも2周りの3周りも大きい軟体動物だ
トカゲのしっぽ切りのトカゲは爬虫類だ


爬虫類と言えば
ワニの歯も何回も生え変わるという


魚類のサメの歯も何回も生え変わる


人間の歯も
虫歯になれば
その都度、はえ変わってくれれば便利だけれど
そう云う風にできていない


右手を切られても、また生えてくれば
とても便利なのだけれど
そう云う風にもできていない


どんどん生え変わってくれれば
便利だけれど
生え変わって来るとわかれば
大事にしなくなってしまうだろう


歯も
右手も
はえかわらないとわかっているから
とても大事にしている


仮に失えば
失ったことを何度も何度も後悔し
失ってもう戻らないものに
いつまでも恋焦がれてしまうのだろう


そんな思いが絡まりあって尊厳が成形されている


昭和のころ
注射器はガラス製だった


熱湯消毒をしながら
何回も使いまわした


今はプラスチック製の注射器が
一回使ったら捨てられている


注射器の生産能力が上がり
注射器を大事に使わなくなってきた


生産力や
再生力が高いと
大事にされなくなる傾向があるようだ


替えが利けば利くほどに
粗末にされてしまうのかもしれない


私の身体は替えが利かないから
とても貴い



ところで
社会の中で私はどうだろう


いや
そんなことを考えるのはやめにしよう


愚問の中の愚問だ


私は私にとって替えが利かない
それで充分だ


それが生命の尊厳だ


私は
トカゲのしっぽではない


そう思っていないと
面白いものも
つまらなくなってしまう


命の尊厳も祈りの尊厳も
客観的事実の前にあるのではない


客観的事実から目を背け
主観的に湧き上がる尊厳を
待ち望まなければ
幸せは遠ざかる

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