ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

能動的反応:恵みを乞う


周りの人の行いに応じて
自分の生き易さが変わってしまうから
お他人さまは
おてんとうさまや
水といった
自然の恵みと同じように大切だ


むしろ
社会が発展するに従い
おてんとうさまや
水よりも
お他人さまの行いの方が
重要になってきた気配がしている


冷害や水不足で米が不作でも
外国から
食料を輸入すれば事足りるのだから
江戸時代のように飢饉にならずに済む時代になった


このように
困っている人がいれば助け合える
そんな社会が広がって
自然の恵みよりもお他人さまが重要になってきた


だから
お他人様にそっぽを向かれると
いくらお日様が微笑んで
程よいお湿りがあっても
平穏に暮らしていけなくなってしまった


大地を耕し
陽の光と水の恵みで生きる時代ではなくなり
お他人様の恵みの中で生きる時代になったのだ


だから
おてんとうさまや
水といった自然の恵みに感謝をささげるのではなく
お他人さまの恵みに感謝をささげる


でも
こんなのは
社会の中の造られた幻想で
本当は
今でも自然の恵みの中で生きている


社会は
社会に住む人々を守ってくれてはいるけれど
限度がある
社会にもたらされる自然の恵みが滞れば
お他人さまの行いは
手のひらを返したように冷たいものになる


社会が豊かならば
社会に頼り暮らすのも悪くないけれど
社会に頼りがいがなくなれば
やっぱり
自然の恵みに頼るより仕方がない


いづれにしても
恵みは
自然なものにせよ
お他人さまのものにせよ
当然にあるものではないから
生きてゆくのは大変だ


辛い時には
何かにお祈りして恵みを乞うことになる


この物乞いが
社会を動かす原動力になるから
人間の祈りは昔から尊いものと決まっている


いくら科学技術が進歩したって
人間の裏切りがある限り
祈りは尊いものであり続けてゆくのだろう


変わるのは
祈りではなく
恵みの方だ


欲しいものが次から次へと変わってゆくのだ


このほしいものに応じて
社会が変わり
社会が変わると
また欲しいものが変わってゆく


この共進化を
祈りが促し続けて時代が遷ろう


こうして
神が
恵みを与え続けながら時代が遷ろう


神は
恵み続けるシステムだ

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