ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

能動的反応:わきまえる日本人


みんなが生意気になれば
もう少し自由な空気になるのだろう



会議室のテーブルに向かい
うつむきながら
自分を押し殺し座っているのではなく
しっかり前を向き
生きている人間らしく
意気込みをもって
過ごさなければ
自由な空気が生まれないし
不平等は不平等のままだ


生意気にならなければ
何も買えられない


「あいつは生意気でけしからん」
「お前は馬鹿だ」
そんなことを言われるくらいで丁度いい


・・・こんな風に
   強気になる時もあるのだけれど
   理性的に考え直し
   死んだふりして時間を渡過してゆく・・・


日本語には
敬語という厄介な表現がある


だから
話し相手をわきまえなければ
日本語を使えないようにできている


日本人はわきまえる人々だ


わきまえるということは
区別することであり
差別することでもある


言葉を操りながら
言葉の意味を伝え合うばかりではなく
人間関係をも共有しあうようにできている



乱暴な言葉
丁寧な言葉


操る言葉で
相手を見定める


この見定める目を畏れながら
言葉を操る


うつむきながら
死んだふりをしながら
言葉を操る
だから
生意気にはなり切れない


そんな抑圧の中で
生き延びてゆく


平等より
生き延びることが先決問題だ


・・・生意気な奴がいる
   いつか大きな失敗をして
   大変な目にあうに違いない


   でも
   あいつ
   いつまでも生意気のまま偉くなってゆく
   なぜだ
   なぜだ
   俺はこんなにわきまえながら生きているので
   このざまだ
   それなのに
   生意気なあいつはなんだ
   ドウシテダ
   ドウシテナンダ・・・


日本語には
隠された罠がある


その罠につかまり
檻の中に収監され
泣いている幽霊が
私の中から
時々沸き上がり
叫び声をあげながら泣いている


眠れない一人だけの夜


わきまえて
わきまえ続け
不平等が不平等なままでいる


もっと自由になり
また別の不平等が現れてくれないだろうかと
わきまえながら
心でつぶやく

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