ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

恒常的状態:「継続」という目的


状態は流転する


お風呂の温度は
放っておけばぬるくなり
火を焚けば熱くなる


水の分子自体に
発熱能力や冷却能力が備わっていれば
お風呂の水も恒常的な状態を保てるのだろうが
水分子自体には
このような能動的な反応をすることができないから
周囲の温度に応じて
水温が変わってゆくことになる


このような受動的な水に対して
生命は
外部の環境が変わっても
同じことを繰り返すようにできている


繰り返すようにできてはいるのだけれど
環境が激変して
同じことを繰り返そうにも繰り返せなくなると
生命は潰えてしまう


潰えてしまわないように
環境が変わっても
同じことを繰り返さるような内部の環境を整えたり
たとえば種で冬を越すように
激変した環境をやり過ごす工夫が重ねられている


生命は
状態を同じであり続けようとする能動的反応の総体だ


だからなのだろう
だらだらと過ごせる
ぬるま湯のような環境がとても魅力的で
そんな理想郷を
人生の目的地のようなところとして夢想してしまう


生命は能動的に恒常性を維持しているから
生命として存在しているのであり
この恒常性を持続するために
様々な能動的機能が働いている


このような意味で
生命の最大の目的は継続と云えるのだろう


してみれば
人生の目的は「継続」だ


継続できる状態を維持し続けることが
最大の目的だ


そこで
個人の目標としても
「永遠の命」が俎上に上ったりする


人類の目標を
個人一人で達成しようとするのだから
欲張りなことだが
生命の本質が「継続」なのだから仕方がない


人類でさえ「永遠の継続」をできるのかわからないのに
個人の永遠の継続を願うのだから
命はたいそう欲張りにできている


逆に言えば
欲張りでないと
「継続」を達成できない程
生きてゆくことは困難に満ちている


私も欲張りだ
だからいつも我慢を強いられている


私の継続もいつしか終わるのだろう
それまでは
生命の尊厳に従い
欲張りでいなければならないだろう


そして
この生命の尊厳が
私だけのものでないから
我慢も強いられ続けてゆくのだろう


何事も「継続」が大切で
我慢も悲しみも例外ではなく継続してゆくことが
大切らしい

×

非ログインユーザーとして返信する