恒常的状態:個人主義の虜たち
どこかに慢心があるのだろう
時代から取り残されてゆく
ウサギとカメの物語のウサギのように
満足して
立ち止まり
時代遅れになってしまっている
終わりのない旅は続いて行くのに
満足して立ち止まり
幸せを満喫する
春爛漫の慢心を味わうことは
罪なのだろうか?
*
猿人や原人を凌駕して
現代人が栄えている
個々の能力というよりも
むしろ
集団の力が
現代人を支えてきた
これからも
集団の力が
人類に進歩を導くだろう
その中で
春爛漫を愉しむ人がいて
その傍らで
その春爛漫を支える人が歯を食いしばる
*
個人主義は
原始への憧憬なのかもしれない
社会を介さず
直接的に野蛮な大自然と対峙してきた野生の時代への
憧憬なのかもしれない
誰もが大自然に向き合っていれば
皆が平等だ
*
平等や
正義は
集団を維持する技法なのだろう
集団として
どのように恵みを得て
どのように分配するのか?
独りで得るものは少ないという現実が
個人主義の限界を指し示している
この限界は
対自然の個人主義であり
対社会の個人主義ではない
個人主義の満足は
対峙する存在を克服して得ることができる
対自然の個人主義の満足は
たとえば
エベレスト登頂であったり
無人島でも長期滞在であったりする
これに対して
対社会の個人主義の満足は
各種の競技会での勝利であったり
困難とされる課題の克服だろう
*
満足し慢心すると
時代遅れになり取り残される
名誉の中で
社会のゆりかごの中で揺れながら
ゆっくりと慢心を愉しめなければ
何時までも競争を強いられてしまうのだろう
大自然を克服しようだなんて
壮大な目標は個人主義を決して満足させてくれることはない
せめてできることを頑張るより仕方がない
そこそこに頑張り
そこそこに個人主義を満足させ
そこそこに社会から守られ
恒常的状態を維持できれば
それなりに立派な成功者ということになるのだろう
*
美しい人がいて
その周りに
その美しい人の虜になった人がいる
本能的に虜になることも
理性的に虜になることもある
虜になることは
素直な喜びだ