ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

恒常的状態:個人主義の虜たち


どこかに慢心があるのだろう
時代から取り残されてゆく


ウサギとカメの物語のウサギのように
満足して
立ち止まり
時代遅れになってしまっている


終わりのない旅は続いて行くのに
満足して立ち止まり
幸せを満喫する


春爛漫の慢心を味わうことは
罪なのだろうか?



猿人や原人を凌駕して
現代人が栄えている


個々の能力というよりも
むしろ
集団の力が
現代人を支えてきた


これからも
集団の力が
人類に進歩を導くだろう


その中で
春爛漫を愉しむ人がいて
その傍らで
その春爛漫を支える人が歯を食いしばる



個人主義は
原始への憧憬なのかもしれない


社会を介さず
直接的に野蛮な大自然と対峙してきた野生の時代への
憧憬なのかもしれない


誰もが大自然に向き合っていれば
皆が平等だ



平等や
正義は
集団を維持する技法なのだろう


集団として
どのように恵みを得て
どのように分配するのか?


独りで得るものは少ないという現実が
個人主義の限界を指し示している


この限界は
対自然の個人主義であり
対社会の個人主義ではない


個人主義の満足は
対峙する存在を克服して得ることができる


対自然の個人主義の満足は
たとえば
エベレスト登頂であったり
無人島でも長期滞在であったりする


これに対して
対社会の個人主義の満足は
各種の競技会での勝利であったり
困難とされる課題の克服だろう



満足し慢心すると
時代遅れになり取り残される


名誉の中で
社会のゆりかごの中で揺れながら
ゆっくりと慢心を愉しめなければ
何時までも競争を強いられてしまうのだろう


大自然を克服しようだなんて
壮大な目標は個人主義を決して満足させてくれることはない
せめてできることを頑張るより仕方がない


そこそこに頑張り
そこそこに個人主義を満足させ
そこそこに社会から守られ
恒常的状態を維持できれば
それなりに立派な成功者ということになるのだろう



美しい人がいて
その周りに
その美しい人の虜になった人がいる


本能的に虜になることも
理性的に虜になることもある


虜になることは
素直な喜びだ

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