ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

恒常的状態:非対称を維持する力


「・・・である」
「・・・ではない」


このように
言葉は
肯定の表現方法も
否定の表現方法もあるので
存在も不在も表現できるし
正も不正も
本当も嘘も表現できるようになっている


これに対して
物質の世界は
今あるものしか存在しないのであり
言葉が仮想するような
過去の状態や
未来の状態は
現在においては存在しない


このような物質世界の明快さを
言語世界に導入しようと
様々な試みがされているけれど
「・・・でない」という否定の言葉があるので
明快に「存在する」と言語表現しても
「存在しない」という真逆の表現が
潜在的に津にに存在している


このような実情から
絶対主義
イデア
定言命法
法律
等々
様々な言葉で
言語世界に非対称を持ち込もうと試みるのだけれど
言語世界が持つ根源的な性質である対称性が
その非対称を揺り動かすことをなかなか止めることはできない


このように
対称性から生じる相対主義は
言語の根本的な性質に基づくのだから
絶対主義を維持するには
言語の根本的性質に抗わなければならないから
言語に対抗する大きな力が必要になる


だから
言語の力に頼るのではなく
別の力を言語世界に導入しなければ
非対称性を維持できない


どのような力の作用が
言語世界の非対称を形成できているか


この理解をなくして
言語世界をうまく使いこなせないことになる


同じ力で維持されている言葉世界でのやりとりは
うまく通じ合うのだけれど
異なる力で維持されている言葉世界でのやり取りは
同じ言語圏に属する言葉でも
正確に通じ合うことは無いからだ


典型的には
科学的真実と
宗教的真実はしばしば競合することになる


生命現象も
それぞれの力が働き
様々な非対称を形成しながら
命が紡がれている


たとえば
ワニはワニの異性に魅かれ
美しい人間を見ても
性的興奮はしないであろう


私も例外ではなく
私は私の非対称を懸命に維持している


それが私の使命なのだろう


だから
私とは違う力を感じると
「・・・でない」という否定の言葉を
欲し
使用したりするのだろう


私はワニではないのだ
「私はワニである」という表現が可能な言葉を
一生懸命に否定しながら生きている
、ということになる


否定や肯定をしながら
非対称を維持し
それぞれのいびつを維持し続けることが
秩序を維持することなのだから
言葉はとても大切なのだけれど
どちらに転ぶのかを
言葉が得れべないところがあるから
言葉だけに頼れない


これは
言葉は後置的な存在なのだから仕方がないことだ


肯定と否定のどちらにも追従できないと
その後置的な価値が下がってしまうのだから
後置性という言葉の限界と
うまく付き合うより仕方がない


言葉の世界に非対称をもたらす力


この力を言葉の外に求め続け
言葉に非対称性をもたらすより仕方がない


元来
言葉は軽い存在だ


重石をつけ
非対称性を凛と描くには
相応の覚悟と技術が必要だ


人間にも
ワニにも
それぞれの覚悟と技術があるから
人間はワニでないし
ワニは人間でないから
ありがたいし
人がワニになるような
奇妙な夢が描きにくくなる不自由なところもでてきてしまう


同じように
私は
他の誰かのようになりたくても
夢は夢のまま終わることになる

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