ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

対応関係:対応と時間


会話の場で
言葉が発せられた時間と
その発せられた言葉が意味に変換される時間には
ずれがある


この時間差が
状態の持続を導いて行くという意味で
この時間差に
永遠への希望が託されている


たとえば・・・


「おはよう」と誰かが言い
その声に
別の誰かが
「オハヨウ」と呼応する
その呼応に
元の人がまた「おはよう」と返せば
「おはよう」と「オハヨウ」からなる
「おはよう」の永久機関が出来上がる


このような
「おはよう」の永久機関は
だいたいの場合
「おはよう」や「オハヨウ」を連呼することに
疲れたり
飽きて
どちらからともなく
「おはよう」や「オハヨウ」ということを止めてしまい
「おはよう」の永久機関は死を迎えることになるのだけれど
疲れもせず
飽きもしなければ
「おはよう」「オハヨウ」が恒常的に連呼されることになる


このように
対応関係を時間軸に沿って
次々と変換させて
対応世界を連鎖させてゆき
元の対応世界に戻るようなシステムは
時間を超えて
対応世界を恒常的に再現し続ける機械となる


対応関係の循環の中で
時間が経過し
対応世界が維持されてゆく機械だ


このような機械の内部で
動的平衡が観察される


動きながら
同じであり続けるのだ


心臓が
周期を描きながら
収縮と弛緩を繰り返し
血液を身体全体に送り込んでいる


疲れもせず
飽きもせず
規則通りの
次の状態へと変遷しながら
元の状態に戻り
また一から
収縮と弛緩の周期を繰り返しながら
永遠への道を刻んでいる


理論的には永遠に循環し続けることも可能な
対応関係にある状態の循環を
いつの日にか途切れるまでの永遠を刻み続ける


「おはよう」
「オハヨウ」
「おはよう」
「オハヨウ」
「おはよう」
「オハヨウ」・・・・


心臓の音は
時間を超えてゆく
恒常的状態たちの挨拶なのだろう

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