ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

対応世界:言葉の中で


物と物の対応関係を
言葉が仲立ちしていることがある


春には
お内裏様とお雛様を並べてみたり
夏には
鼻緒のついた下駄と浴衣を揃えてみたり
秋には
ススキとお団子を並べてみたり
冬には
柳の枝に白い繭玉を飾ってみたりする


時と場所に応じて
普段は別々に存在している物たちを
言葉が引き寄せる


このように
物質世界の対応関係と
言語世界の対応関係の間に
さらなる対応関係が成立している


私には
名前がある


  私の名前は〇〇です
  でも
  私は私の名前ではありません


それでも
私と私の名前は強く結ばれた対応関係にある


それだから
私は言葉ではないのだけれど
言葉の世界の中で
私は私の名前としてうごめくことができている


そうして
その名前で記された言葉に応じて
私は私を動かして
言葉の世界に従って
言葉の世界と同じようにうごめいてみせたりする


私は
私らしさを記された言葉に従い
私は私を演じてみたりする
そして
法律に記された言葉に従い
私は私を律してみたりする


そんな言葉と私の関係があるからなのだろう


私は私の名前に対して
私の言葉を投げかけ続けなければ
私は私でなくなるなどと
怯え続けなければならぬのだろう


どうなっても
私は私であるのだけれど
私の言葉に従う私を
私は欲する


・・・このような思いを創り出す自己機械化現象が
   私を私として維持してくれている


私であることを
私は私に感謝しなければならぬのだろう



物と物の対応関係を
言葉が仲立ちしていることがある


過去の私と
今の私を
言葉が仲立ちしてくれている


あなたと私を
言葉が仲立ちしてくれている


あなたも私も
言葉からすれば
者ではなく物なのかもしれない

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