ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:自由より束縛を願うという本質


小鳥が空を飛んでいる


空には自由があるように見えるのだけれど
小鳥たちは
とてもせわしなく飛び交っている


もしかしたら
いたしかたなく空を飛ぶ羽目になったのかもしれない


空を飛ばずとも生き永らえれたのならば
小鳥は
あえて空を飛ぶ必要はなかったろう


いやいや
そんなことはない


きっと
空を飛ばずとも生きながらえることができたのだろう


それでも
もっともっと欲深く生き抜くために
空を飛ぶ技術を獲得してきたのだろう


生命の進化には
「念ぜざれば通じず」の精神がある


「念ずる」といういっても
人間の意識のように「念ずる」のではない


「念ずる」というのは
「こうなりたい」というような予定を立てるで
広義の「予定」である


「通ず」は
思い通りに実現することであり
広義の「実践」に属することである


こう考えれば
「念ぜざれば通じず」は
「予定したことしか実践できない」ということになる


高度な機械
例えばロケットは
設計の意図通りに様々な動作が連帯してこそ
はじめて宇宙に飛び出すことができる


高度な機械ほど
予定したことしか実践できず
「たまたまうまくいった」なんて偶然は
そうそう起こるものではない


必然的な予定と実践の協調の中で
動作しいるものである


生命も
予定したことしか実践できない必然のなかで
動作している


しかし
ロケットにしても
生命にしても
必然になる前は
試行錯誤の連続の中で
失敗と成功を
偶然の風の中で繰り返してきたに違いない


様々な予定を立て
それを実践し
失敗もし
成功もしてきた


そして
成功した予定を集積し
高度な技術を組み立ててきた


予定を承継する技術が
成功を集積してきたということだ


小鳥が飛ぶに至った経緯は
想像するしかない


ただ
大空には
自由があったのではなく
生きやすさがあったのだろう


考えてみれば
生きやすさに自由を感じるだけなのかもしれない


「もっと自由を」と思う時にも
生きやすさを
ただ純粋に求めているだけなのだ


自由を求めるのではない
もっともっと
「生きやすさ」の奴隷になってゆきたいと願うのだ


ただただ純粋に
「生きやすくなる」ように念じ続けている


自由が欲しいわけではないのだ


生き抜く予定を求めているのだ


空を飛び交う小鳥たちも
もしかしたら
飛行機の中の窮屈な座席でじっとする束縛感を
どこかで引き受けているのかもしれない


その束縛の中で
汲々としながら
必死に空を飛び交っている


だから
せわしなく飛び回っているようにも見えるのだろう

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