ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:ニワトリの存在と時間


鶏と卵は
どちらが先に現れたか?
という議論も面白いが
鶏と卵は同じものか?
という問いも面白い


鶏と卵は
全く違う形状をした別の存在だ
しかし
卵なくして鶏はなく
鶏なくして卵はない関係にある


どちらも
ニワトリなのだ


かつて
卵だった存在から
ひよこが生まれ
この存在が成長し
鶏となる
この鶏が卵を産み
この卵からひよこが生まれるのだ


この鶏の生活環を循環することで
ニワトリは生存し続けている
卵だけで
鶏だけでは存在し続けているのではない


それに
ニワトリを構成する物質は
絶えず入れ替わっている


テセウスの船のようなものだ


時間の中で
変わり続けながら
ニワトリは同一存在であり続けているのだ


この意味で
生命にとって
この時間を貫く同一性が
存在の核心である


子供の私と
大人の私の同一性が
私の存在の核心であるということだ


時間を貫くから
存在が存在として語られるのだ


時間を貫いている間だけ
存在しているということだ


時間を貫き存在している現象


卵は卵である間卵であり
鶏は鶏である間鶏であり
ニワトリは
卵ひよこ鶏の生活環を循環している間
ニワトリという種として存在する


時間は
物質に変化をもたらし続ける


この変化に抗する力の総和として
命たちが懸命に存在している


私も変わり続ける


変わらないように変わり続ける

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