ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

妄想と現実:妄想と現実の間にある道筋


妄想と現実を区別している


今と結びついた五感から認識される状況を現実と認識し
その状況とは異なる状況を妄想と認識している


あの信号機は
もうじき赤信号に変わる


この時の赤信号は妄想だ


現実は赤信号ではないからだ


妄想は言い過ぎかもしれないが
予言と言おうが
予想と言おうが
空想と言おうが
現実ではないことには違いがない


いくら確度の高い事象であっても
未来は現在にはなく
現実ではないのである


現実ではないものを広く妄想と言ってしまえば
先の赤信号も妄想になる


こうなると
生命の卵は妄想の塊のような存在だ
そして
生命は
その妄想を実現しようと躍起になっている存在ということになる


テレビ観戦している
ひいきチームの勝利も妄想だ


その妄想の実現のために
テレビの前で
歓声を上げたり
ため息をついたりしながら
妄想の実現に躍起になることを応援ということになる



対戦するチームのどちらもが
勝利を目指すのであるが
勝利を実現するのは
そのうちの一つだ


現実は
過剰な妄想たちが競争した結果ということだろう


信号機が
私の運転する車が交差点に進入しようとするとき
赤信号であることも
青信号であることも
黄色信号であることもある


そのどれになるかは
信号機の内部で機械的に決められている


この制御された現実の中で
信号機の過去と現在と未来が存在している


赤信号が青信号に変わる時
現実が変化する


卵から孵化する時
ひいきチームが勝利する時
やはり
現実が変化する


現実が変化することに先に立ち
それぞれの過去がある


妄想が現実となる道筋としての過去がある


信号機に
赤信号を青信号に変わろうとする意志などないと
断言することはできるだろうか?


機械には意志が封じ込まれている


だから
機械は制御されながら動くのだろう


名高る絵画に
意志が封じ込まれているように
信号機にも
意志が封じ込まれているのだ

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