ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

徴候と憶測:人に見られるということ


「見た目で人を判断してはいけない」
という金言がある


しかしながら
この金言は
とかく人間には
見た目で人を判断してしまう習性があるから
金言として言い伝えられている


見た目でいうと
男か?女か?ということもある


男の子は
男の子らしい遊びをするだろうと育てられ
実際にそういう遊びをしながら育つことが多い


女の子は
やはり女の子らしい遊びをして育つ


結果として
見た目とやることに相関関係が生まれてくる


男は男らしく着飾り男をふるまい
女は女らしく着飾り女をふるまう


見た目とやることが
この様に相関してくると
見た目で人を判断しても
そうそう誤らないということになる


見た目という徴候が
様々な憶測を呼び
その憶測が
まんざら疑わしいものではないとわかると
その見た目と
その憶測が結びつく


おそらくは
この憶測に基づく見た側の行為が
見た目の持ち主に
微妙な影響を
着実に蓄積させているからなのだろう


人の期待に応えようとする本能があるのだろうか
憶測をかけられると
それに応じるようになる傾向があるのではなかろうか?


「なんか期待はずれだなあ」
「もっとやれると思ったのに」
「やっぱりお前はすごいな」


様々な言葉が
人の行動を変えてゆく


コーチングなど
人を指導する方法論が様々あるらしい


無意識的なコーチングが
見た目とその人なりを一致させている側面が
あるのではなかろうか


同じことをしても
褒められる人と
怒られる人がいる


男女差
人種差
出自の差


様々な他者の反応に囲まれながら
自らを律して生きている


様々な反応に
様々な憶測を描きながら
自らを律して生きているのだ


虚勢を張らなければならないことがある
人の目に負けてはならない時だ


虚勢を張りながら
未来の自分を創造するのだ


自らの殻を破るのだ


人間の本質は
見た目ではないが
人の目が見た目を大事するよう
仕向けあうのも
人間の本質の一部にあるらしい

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