現象と構造:間主観的クオリア
言葉は間主観的クオリアだ
感動や悲しみが
自分だけのものであるように
言葉も
言葉を話す人たちだけのものだ
アリたちのフェロモンも
間主観的クオリアだ
クオリアがクオリア生む連鎖のなかで
言葉や
フェロモンが
個体から個体へと
クオリアを伝達している
「好き」という感情
「嫌い」という感情もまた
クオリアであり
「好き」という言葉も
「嫌い」という言葉も
間主観的クオリアだ
してみると
DNAも間主観的クオリアなのかもしれない
その塩基の配列と触れた酵素群が
特定のアミノ酸を連れてくる
文字が特定の感情を連れてくるように
特定のアミノ酸を連れてくるのだ
ある引き金が引かれることにより
特定の現象が起こる様に構造が成立しており
引き金が引かれ
現象が連鎖して生命が成立している
構造の中にある主観は
この引き金が引かれるこう反応するように
仕組まれていることを
知ってか知らずか
それに従い反応を繰り返す
雨が降るとなぜか悲しく
お日様が出るとなぜかうれしい
晴れ晴れとした空はさわやかで
どんよりとした雲は陰鬱だ
こうした出来合いの構造の中で
生きることを愉しんでいる
こうした構造を
押し広げ
より細かく規定することを愉しみながら
生きている
進化の過程で
DNAも増えてきたように
言葉が増えてゆく
この増加が意味することは
より高度な楽しみと引き換えに
より高度な義務を負わされているということなのだろう
喜びを求めと
義務を遂行する
喜びを覚えた生き物は
その喜びを求めて
彷徨い続けるより仕方がない
そうできているらしい
あの楽しかったころに戻りたい
ふとそう思うことがある