ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

不満を持つことは物語を描く潜在である


オタマジャクシは
カエルになろうとしているだろうか?


人間の第二次成長と同じだとしたら
意識としてはノーであり
遺伝的形成因としてはイエスであろう


男であれば
声変わりしようとしてするのではない
ひげを生やそうとするわけではない
自然に第二次成長が始まってしまう


ナマズになろうとしても
そうはいかない道理だ


男に生まれたかった


逆に
女に生まれたかった


もっと
きれいに生まれたかった


意識と
遺伝子は
必ずしも一致していない


精神と身体の調和は
完全には調律できていない


身体は頑固だ
精神が柔軟に対処して
調和しなければならないのだろうか?


とすれば
精神は
身体の従たるものということになる


社会に自然に馴染んだ個人は幸せだ
社会に馴染めず疑問を持つ個人は苦労をする


それと同じように
身体に馴染んだ精神は幸せである
身体に馴染めない指針は悩むことになるのだろう


ーーーーーー
メモ


「醜いアヒルの子」は
精神の身体に対する不満が

解消し
身体と精神が調和に至る物語だ


物語の中で
精神は不満を語るだけで
何もしていない
身体の遺伝子に従った懸命の努力により
精神が救われたのだ


人間は身体の
表面的特徴に精神が不満を持つのみならず
身体が何かをする能力についても
精神が不満をあらわにする
上手に楽器を弾きたい
上手く絵を描きたい
といった希望が不満になったりする


難しい数学をいとも簡単に理解したい
といった
脳の能力に対しても
精神は不満を持ったりする


そう考えると
人間には
精神が促すことにより
努力を重ね
不満を解消する潜在的な道が
たくさんありそうだ


人間は物語の宝庫ということだろう



ありがとうございます

×

非ログインユーザーとして返信する