ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

記憶と実践:言い訳と責任転嫁と正義論と


失敗すると言い訳をしたくなるのが人情である


もっと言えば
その失敗を自分以外の誰かに押し付けたくなる


そこで登場するものの一つに
正義論がある


「私は正しかった
 それでも失敗してしまった
 これは
 仕方がないことである」


人間には
失敗した時に言い訳できるように
正しいことをしているようなところがある


正しい行いは
世間に対する免罪符を得る必要条件となっている


この必要条件を取り揃えておいて
万が一の失敗に備えるというのが
多くの人間の戦略である


私も人間であり
正しいことをする素晴らしい人間を演じていたい一人である


だから
正しいとされることに興味が湧く


それらを一揃い記憶しておいて
失敗した時に
私が行った正しいことを列挙し
他者が行った正しからざることを列挙する


こうして
言い訳と責任転嫁の準備をしている


実際に
言い訳したり
責任転嫁するかは別として
その準備は
意識せず
自然に無意識的に瞬時にできてしまうのは
私だけであろうか


生きるということは
実にわがままなところがある


このわがままをわがままと感じずにいるから
生きていられるところがある


言い訳や
責任転嫁は
生きるための偉大な能力なのだろう


この能力が人間に無ければ
生きることの不正に苦しみ
自殺する人がものすごく増えるのではないだろうか?


生きることは正しいことである


本当だろうか?


無分別の分別の良いところだけを切り抜いて
無意識が
「私は正しい」と鼓舞してくれているから
私は生きていられるのであろう


言い訳や責任転嫁を許してくれる人は
優しい人である


人が醜く言い訳したり責任転嫁している姿に接した時
このことを思い出せる懐の深さが欲しいものである


きっと
政治家の方々も
有権者にこうした懐の深さを求めているに違いない


正義論を飾るということは
生きる行く本能であり知恵である
そして
それを認め合うのが社会である


人間は正義論が好きである


ただし気を付けなければ
度を過ぎては及ばざるがごとしになるのであろう


論語読みの論語知らずのごとく
正義かぶれの正義知らずが横行すると
社会は荒れてゆくのだろう

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