ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

時間と存在:真偽を超越した言葉の能動的実践について


「真実を語る」という言葉もあれば
「噓を語る」をいう言葉もある


「言葉は嘘をつくけれど
 瞳は嘘をつかない」という言葉もあれば
「あの瞳に騙された」という言葉もある


矛盾している言葉が存在しているが
それに何の不思議も感じない


言葉は矛盾を超越して存在しているのである


ある言葉が正しいか正しくないかは
言葉が決めるのではなく
その言葉が置かれている状況や
その言葉を聞く人が決めてゆくのだから
言葉そのものには
正誤を語る資格はないのである


逆に言えば
状況や
聞く人が変われば
「真実を語る」が正しいこともあれば
「真実を語る」が正しくないこともあるのである


「真実を語る」という言葉は
正しいと評価される時空や
正しくないと評価される時空を
ゆらゆらと流れてゆくのである


こうして揺らめいている言葉を
正しいものとする努力により
人々はある種の規律を形成している


スポーツにおいては
「我々が勝つ」という言葉を胸に
異なるチームが対戦し
勝負を繰り返しているが
こうした勝負においても
「我々が勝つ」という揺らめいている言葉を
正しいものとする努力により
統制された規律が形成されている


言葉に接するものの能動により
言葉が実践され
その言葉の意義が評価されてゆくのである


DNAもまた言葉である


この言葉に接する生体内機構により
能動的な生命活動の実践がなされ
そのDNAの評価がなされてゆくのである


DNAもまた
言葉と同様に
有用である時空や
有用でない時空を
ゆらゆらと流れているに違いない

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