ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

 動的秩序は規則的反応の調和的集合体。ルアーは反応をもたらす物質の最適化の象徴。情報の流れの中で規則と調和が繰り返えされる。

現実に敬意を払い続けられない思考たち


身体と精神が分離不可能なものであっても
思考の中ではこの2つを分離して
格別に思考できる


還元的思考だ


原子を陽子と電子に
分解して思考できるようなものだ


実際に分離するには
途方もない設備とエネルギーが必要になるけれど
理科の教科書に載っている陽子と電子は
何事もないかのように
分離られて
それぞれ別々に記載解説されている


非現実的な状況を維持しながら

一方では
現実的な事柄を

純粋に整理して思考できるから
思考は便利だ


反面
非現実を
思考できてしまうから
白日夢を見たり
詐欺にあってしまったりする


これが
現実を変える力になるのだから
嘘から出た真も創出できる


現実にないものを
想像し
それを現実にするには
非現実を思考しなければ始まらない


人間は
その内面に嘘を抱えながら生きている


とても便利で有益な嘘にもなるのだから
しかたがない


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メモ


非現実
あるいは
嘘を
内面に抱えることと
その嘘を
外部の人間に表明することのあいだには
おおきな差がある


思考上の試行錯誤を重ね
より適切な言葉がひねり出される


集団により
適切な言葉は変わってくる


専門家の間では
専門用語の使用が推奨されるが
専門外の人がいると控えれる


嘘も
その嘘を許容する人々の間では
言語として表現されても
その嘘を許容しない人々の間では
控えられる


言葉は
共有資産であるから
不適な言語は
排除される傾向になる


その排除方法が
その言葉自体に向かうのではなく
その言葉をを発する人に向けれれることがある


ともすれば
家族や親族にも降りかかる
民族という集団も
総合的思考により
同罪の憂き目にあることもある


言語とそれを発した身体は
別々な存在として思考することもできるけれど
根底には
言語とそれを発した身体の同一性を認識しているからだろう


集団内の個人を同一視する認識も
思考のなせる業だ


思考と身体は
還元的に分離されたりするが
統合的に同一性を認識したりする


自由に飛び回る思考が
都合に合わせて
規制をされたり
それが緩められたりする


自由があるから
様々な都合よさが演出できる


自由が求められる一つの理由だ



ありがとうございます


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