反応と恒常:反応する精神の躍動
晴れ晴れとした風もない日に
縁側でのんびりとした気分に浸るのは
幸せな時間である
土砂降りの嵐の日に
何ができる訳でもなくのんびりするのは
どこか物寂しい
同じのんびりなのに
この違いがあるのは
晴れ晴れした日ののんびりは能動的で
嵐の日ののんびりは受動的だからなのだろう
精神には
自ら求めてその求めを充足させると
満足するものらしい
自己満足の巣窟ということである
自ら求まることの実践に対する
精神の反応が自己満足ということである
精神の内部に
欲望が存在しており
同じ精神の内部で
その欲望を満足させているか否かを
逐一観察しているのである
嵐の日ののんびりには
のんびりしたいという欲望よりも
「晴れていたらこんなことをしたい」というような欲望が
勝っているので
のんびりしていることに満足できないのに違いない
自己満足の基準は
自己で創造するものである
そう考えると
満足せずにイライラするのは
自分の至らなさに由来するということになる
大志を描くのも精神であれば
平凡な日常を嗜好するのも精神である
一般的には
青年は大志を抱き
老人は足るを知るのが良いのだろう
いずれにしても
どちらかばかりでは息が詰まってしまいそうである