予定と実践:目的に流され閉環する循環の中で
タンポポの種という現実態には
発芽する可能態が備わり
寝や茎や葉を伸ばす可能態も潜在し
花を咲かせ
綿毛の種を作る可能態をも持ち合わせている
これらの可能態の推移には
道筋が付けれており
いきなり種が綿毛を作ることはない
この道筋の道しるべが目的であり
それぞれの可能態が現実態になった時
次の可能態となるという目的に沿って
さまざまな反応が実践される
この実践が周囲からしばしば妨害される
たとえば
綿毛の種が川に落ち海に流されてしまえば
発芽することもかなわない
タンポポの種には
発芽する自由もあれば
発芽しない自由もあるところ
実際的には
この現実態は
発芽するという可能態のみを目指し
発芽しないという自由を放棄している
タンポポの種を主語として語れば
彼らには
発芽する自由が在り
それを夢見ている
この自由を実践すべく
タンポポの種は運に身を任せながら
風に舞っているのである
この自らが選んだ自由のために
タンポポの種は闘っているのである
ここに目的が生まれる
そして
可能態から次の可能態へと移行しながら
生活環が閉環すると
その種族の定常的繁栄が約束されるということになる
可能態の連鎖が循環となり
その循環が
目的をさらに多種多様に熟成させてゆくのである
だから
個々の目的は
森の中の樹のようなものであり
特定の目的にばかり固執すると
「木を見て森を見ず」ということになる
循環を眺めなければ
目的の真意にたどり着かないということである
ただ
それぞれの可能態において
全体を見る能力が必要なわけではない
葉はただ葉を伸ばし
太陽の光を求めればよいのである
種を作ることまでは考えなくてよい
それは花に任せておけば良いのである
私も今の中に埋没し
一喜一憂を繰り返せば
それでよいのである
森を見ず気を見て楽しむのも
命の特権であり
たとえるなら
現在態にとっての次なる可能態は
麗しき夢なのである
この夢を見る自由が
いつしか生命を循環させている