予定と実践:幸せと不幸を運び込む予定
私の体内には
眠るという予定や
食べるという予定
排泄するという予定
夢を見るという予定
幸せを感じるという予定
悲しみを感じるという予定
泣くという予定
笑うという予定
その他
様々な予定が組み込まれている
生まれたばかりの赤ちゃんにも
首が座るという予定があり
お座りできるようになるという予定
ハイハイできるようになるという予定
言葉を話すという予定
立つという予定
歩くという予定
等々
が組み込まれている
こうした予定が実践されることは
喜ばしいことである
逆に
予定が実践できないと
もどかしい思いに苛まれる
そんな風に感じる予定も組み込まれている
予定は実践されなければならない
そんな脅迫じみた思いに取り憑かれるようにできているらしい
私も
こんな脅迫じみた予定を実践するために
活動を強いられている
そして
それを実践できないでいる間
悩むのである
悩み
出口が見えない時
落ち込み
大災害が起こり会社に行かなくてよいにようになればよい
などと不謹慎な思いに取り憑かれたり
死んでしまえば楽なのだろう
などと
若きウェルテルのように
居場所を失ってしまうような幻影に取り憑かれてしまうことさえある
動物の中で
人間だけが自殺をする生き物という話を聞いたことがある
予定がいけないのである
予定を反故にすれば
のんびり生きられるのであるが
なかなかそうもいかない
ここは約束された地である
古来あそこは我らが土地である
そんな予定を反故にできれば
のんびりと時間を徒過してゆけるのだろうが
そうもいかないのが人間であるらしい
この性向が
科学技術を進歩させてきたのだから
良し悪しということなのだろうけれど
予定から解放された自由を謳歌したいという原始的な気持ちも
人間に組み込まれているから
時間をうまく分離して
使い分けてゆかなければ
うまくないだろう
私にもたくさんの予定が組み込まれていて
それが幸せと不幸とを運んでくれている