ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:矛盾を分離する仮定という思考


理想としての
あるべき姿というものが在る


それは
存在しないから理想と呼ばれ
存在していないはずであるが
理想としては存在している


つまり
存在していないものが存在しているのである


現実と理想は
存在している次元が違うので
こんなおかしな言葉が生まれてしまう


現実の出来事と
寝ている間の夢の中の出来事が
異なる次元に在るので
相互に矛盾があってしかるべきように
現実と理想も
矛盾があっても
別次元にそれぞれ独立して存在し得るのである


この次元を違えることで
矛盾を野放しにできる事案としては
同じ人格者が
強者の前と
弱者の前で異なる態度をとることを挙げることが出来る


「もし」という仮定で
矛盾する事象を振り分けることで
両立させるのである


このような次元の振り分けがあるので
神様も
顕れたり消えたりなさるから
同じ次元に居ることを確かめ合わないと
議論がかみ合わないということになる


極端に言えば
同じ次元に居なければ
存在は不存在となってしまうのである


この意味で
存在は思考の地平に左右される


それがゆえに
心の地平に立つと
身体は消え去り
身体の地平に立つと
心が消え去る場面を演出し得る


この様に存在を浮沈させてゆく思考の地平を
自由に行き来できるか否かで
頭の柔らかさが試される


思考の地平を行き来する自由


理想と現実を行き来する自由


理想と現実がごちゃ混ぜになると
どちらの側に立つものかと
秩序は悲鳴を上げることになる


やはり
自由には秩序と反するところがある


しかし
自由がなければ
思考は動かない


思考には
構築と脱構築を繰り返すしか取り柄が無いかのようである


総じていえば
思考上の存在は
仮定の象徴であるということになる

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