予定と実践:予定された反応により形成される信頼
「橋」という言葉と
物質としての”橋”は
同じものではない
だいたい
大きさが全然違う
実物の”橋”に
一体いくつの「橋」という文字を書き込めるだろう?
これほどに大きさが違うものを
同じものとして扱うことで
言葉が機能している
このように
言葉には
そもそもその大前提に嘘が在る
そこで
その嘘を嘘と言わない
その嘘を嘘と感じない
そんな世界が創造されなければならないのである
こんな平和な世界を創造するために
「橋」と”橋”を実にうまく調和させているのが人間様である
この調和させる能力があって
言葉の世界を創造できたのである
「愛」や「神」という言葉と
それにまつわる様々な行動や考えも
また
調和の中に在る
この調和にこそ
「愛」や「神」という言葉の生命線が存在している
ということである
言葉は
調和したその先を求められなければ
機能しないのである
餌となる虫が増える時期を見計らい
鳥たちが卵を産むように
言葉を発する時
その言葉の調和したその先が予定されているのである
鳥たちも
発語者も
それぞれの予定を見越し
その予定を前提として
卵を産み
あるいは
言葉を発するのである
仮に
餌となる虫が乏しかったり
聞いても意図するところが通じなかったりすると
卵を産むことや
言葉を発することは
徒労に終わることになる
だから
虫が大量発生するという自然への信頼
言葉を聞き取ってもらえるという聴者への信頼があってこそ
安心して
卵を産んだり
言葉を離したりすることができる
動物は
主体の外部が
きちんと反応を予定しているという信頼の元
様々な行動を実践している
この信頼の創造があって
はじめて
「橋」が”橋”として機能するのである
赤信号への信頼があるから
青信号で交差点を通り抜けることが出来るのである