予定と実践:自然と対峙するための工夫の実践
自然と直接対峙するには
人間の身体はあまりにもか弱い
だから
服を着るし
家を建て
雨風をしのぎ生きている
季節の変わり目を予定しながら
為すべきことを実践している
こうしたことは
何も人間だけがするのではなく
多かれ少なかれ
生命は
それぞれに
様々な工夫を凝らし
自然と対峙している
季節を見極め
ツバメは子育てのために日本に飛来するし
ネコは
冬の毛と夏の毛を入れ替える
寒い処の生き物は保温に優れ
乾燥したところの生き物は保湿に優れている
それぞれの生き物には
それぞれが制御できない外部があり
その外部である自然に
うまく対応しなければ
生きてゆけなのだから仕方がない
人間もご多分に漏れず
自分の制御できない外部に対応してゆく
対応が高じて
支配もしたくなる
支配を志向すると
それに抗う自然は悪となる
こう考えると
「悪」があるのは
高慢であるが故である
「悪」と対峙する「善」や「正義」を標榜するのも
この高慢が生み出した産物である
したたかでなければ
生きてゆけないせめぎ合いが
こうして生まれる
アリを支配下に置こうと
アリジゴクがやわらかな砂地に三角錐の穴を掘る
きっと
アリは
その三角錐の穴を悪とみなし
その穴を平らにすることを善とみなすに違いない
こうして
高慢と高慢がぶつかりながら
善と悪のバランスが保たれた平衡状態が
次第次第に熟成されてゆく
そして
新しい工夫が発見され
新たな高慢が生まれると
この平衡状態に変化が生まれ
自然が急速に変化してゆく
人間は
様々な技術を開発し
どんどんと高慢になり
自然の平衡状態を大きく急速に変えるようになってきた
戦争と平和
どこまで高慢になれるのだろうか?
どこまで高慢が許されてゆくのだろうか?
高慢になるほどに
制御できない外部の平衡が大きく崩れ
新しい平衡が顕れる