予定と実践:実践が予定を淘汰選択する
予定と実践が分離することにより
葛藤や不満が増幅している
こうしたいが
そうはできない
むしろ
ああしなければならない
しかし
ああはしたくない
こんな葛藤が高じると
不満になる
概括してしまえば
予定には
結果として
実践可能なものと
実践不可能なものがある
予定はあくまでも予定であり
実践しないから予定である
実践したら
予定ではなくなるが
それまでの間は
実践されない予定のままである
実践されない予定のまま
永遠と時間が過ぎてゆく場合が
実践不可能な予定ということになるのであるから
予定と実践が分離した時点で
実践不可能な予定というものが生じる余地が生まれている
実践までの時間が
永遠ではないにしても
相当期間実践できないのであれば
その予定は
実践不可能ではないかと判断されうる
夢は諦めるまで
実現できる可能性はあるのではあるが
時間とともに諦めの気持ちが高じてしまうのも
人情である
さて
実践不可能な予定は
人情としては諦めることにより消滅の憂き目にあうのだが
生命現象としての消滅は
淘汰を待つということになる
何時までも実践されない予定が淘汰され
実践されることにより選択された予定が増殖してゆくことで
進化が進むのである
生命が増殖を予定している
この予定が実践され
予定が増殖する
増殖しない予定は
しばらくは保持されようが
自然劣化して淘汰されるのである
実践により予定が淘汰選択されるのである
始めなければ
予定は予定のままである
まず一歩踏み出し
予定を実践に移し
予定を増殖させ強靭なものへと進めなければ
予定はやがてやせ衰えて劣化してのゆくだろう