予定と実践:生きているという奇跡的な出来事
フェアウェイの真ん中に
一本アカマツが植えられている
会心のドライバーショットで打ち抜いたボールは
まっすぐにその赤松に向かって飛んで行き
「当たるなー」と声をかけたのだけれど
見事に当たり真横にはねて
フェアウェイの左側の林の中に消えていった
ボールに目があり
進行方向を変える能力があれば
アカマツに当たらずに済んだのだろう
目がなくても
耳があり
わたしの「当たるなー」の声に反応して
進路を換えられれば
やはり
アカマツに当たらずに済んだのだろう
*
生きている間は
腐らないのだけれど
死ぬと
すぐに腐り始め
死臭を放ち始める
生きている間は
腐敗菌を退治する能力があるのだけれど
死んでしまうと
退治できなくなるのである
*
避けるべき未来を予見し
それを避ける能力が
生き物には備わっている
しかし
このような能力のないゴルフボールや死体は
避けるべき未来を認識もせず
他から襲い掛かるベクトルに
為されるがままになっている
無の境地というのは
このようなことなのだろうか?
*
同じであるためには
周囲も同じである必要がある
周囲が変わるのであれば
それに応じて
変わらなければ
同じが維持できない
だから
周囲が変わると
ホルモンが出たり
神経が興奮したりして
身体を維持するように
体が変わってゆく
何事もなかったように過ごすということに
様々な能力が使われている
何事もなかったように過ごせるということも
無の境地への入り口だろうか?
すれば
無の境地も至極忙しく
ざわざわとした生臭いものなのだろう
それを
靜やかに見せるのには
たくさんの修行が必要なのだろう