ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:生きているという奇跡的な出来事


フェアウェイの真ん中に
一本アカマツが植えられている


会心のドライバーショットで打ち抜いたボールは
まっすぐにその赤松に向かって飛んで行き
「当たるなー」と声をかけたのだけれど
見事に当たり真横にはねて
フェアウェイの左側の林の中に消えていった


ボールに目があり
進行方向を変える能力があれば
アカマツに当たらずに済んだのだろう


目がなくても
耳があり
わたしの「当たるなー」の声に反応して
進路を換えられれば
やはり
アカマツに当たらずに済んだのだろう



生きている間は
腐らないのだけれど
死ぬと
すぐに腐り始め
死臭を放ち始める


生きている間は
腐敗菌を退治する能力があるのだけれど
死んでしまうと
退治できなくなるのである



避けるべき未来を予見し
それを避ける能力が
生き物には備わっている


しかし
このような能力のないゴルフボールや死体は
避けるべき未来を認識もせず
他から襲い掛かるベクトルに
為されるがままになっている


無の境地というのは
このようなことなのだろうか?



同じであるためには
周囲も同じである必要がある


周囲が変わるのであれば
それに応じて
変わらなければ
同じが維持できない


だから
周囲が変わると
ホルモンが出たり
神経が興奮したりして
身体を維持するように
体が変わってゆく


何事もなかったように過ごすということに
様々な能力が使われている


何事もなかったように過ごせるということも
無の境地への入り口だろうか?


すれば
無の境地も至極忙しく
ざわざわとした生臭いものなのだろう


それを
靜やかに見せるのには
たくさんの修行が必要なのだろう

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