ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:アプリオリの計画とアポステリオリの計画


予定を計画することが嫌いであった


夏休みの初めに
宿題を毎日少しづつやる様に計画するように
命令された


自分で計画したという体裁を整えさせられ
計画通りにやらないと
「自分で計画したのに
 なぜやらないんだ」と叱られるのが
毎年の恒例であった


計画通りに実践することは
容易なことではない


無理やり計画させられたことを実践するのは
なおさらである


夏休みの間中
宿題をそっちのけで遊びまわり
新学期が始まる頃
宿題をやらなければならないとは思うものの
やり切れるはずもなく
新学期に先生に叱られるのが
毎年の恒例であった


こうした
意志の脆弱な計画をよそに
身体は
計画されている予定を着実にこなし
心臓は血液を全身に送り届け
肺は
血液に酸素を供給し続けている


簡単なことではない


簡単なことではないが
これを実践できなければ
私は死んでしまう


身体は
実によくやってくれている


それに引き換え
意識としての私はどうだろう


予定された計画をよそに


自由を求めてさまようばかりである


この自由のさまよいが
汲々として働いている心臓との違いであろう


なぜ心臓は
あんなにも自由を捨てて働けているのだろう


きっと私の意識も
心臓のように
自由を顧みることなく働き続けることもできるのだろう


しかし
そうなった時
私のその汲々とした意識は
無意識として働くようになっているのだろう


合理的な理由などわからぬままに
喜んだり
悲しんだり
幸せを感じたりするように
意識は
自由を失い
ただ結果の実践を繰り返してゆくのだろう


ああ
そうである


汲々と無意識に従い実践するのである


たとえば
計画した夏休みの宿題を脇において
無意識が導く自由の中をさまようのである


してみると
自由はアプリオリへの回帰であり
アポステリオリな計画は
新たな無意識の創造の入り口なのだろう

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