ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:「法の下の平等」と「比較衡量」


「法の下の平等」という言葉がある


法は
誰に対しても平等に規制するように予定されているが
この予定は実践されているだろうか?


権力者やお金持ち
上級国民に優しく
平民につらく当たるような法規制が
実践されていやしないだろうか?


こうした疑問が確信に変わるような社会であると
暴動がおこるのだろう


さて
国会議員はこうした法を制定する側の人間である


人々を規制する法を制定するのであるから
他者に厳しくする商売ともいえるのだろう


だからこそ
国会議員には高い倫理が求められ
自らを律する資質が求められる


そんな国会議員であっても
心得違いが生じ
自らを律しきれず過ちを犯してしまうのも
人間である以上仕方がないことなのだろう


時より
こうした人が
世間から袋叩きにあい
職を辞したりすることがある


国会議員が他者を規制する職にあるから
当然のことなのかもしれない


しかし
考えようによっては
こうした人間らしい人が
法を人間の血をかよったものにするように変えてゆくというのも
ないではないのではなかろうか


厳しい規制を緩くするのも
国会議員の役割なのである


自分に厳しい人が
他人に厳しい法律を作るばかりでは
世の中はどんどんせちがらくなるばかりである


自分にだらしなく人や優しい人が
他人のだらしなさを認め
他人に優しくなるような法律改正を提案してゆくことも
必要なのかもしれない


不倫をして
議員辞職する人もいれば
不倫をして
不倫を合法とする法律を提案する人もいても
良いのかもしれません


そんな法律案に対し
誰が賛成票を投じ
誰が反対票を投じるのか
国民は見る機会を得ることが出来るようになります


中途半端に
ごにょごにょ誤魔化すのが常道なのでしょうけれど
見る方とすると面白みのかける演出であり
そんなある意味馬鹿気た議論があった方が
政治に対する興味を持つ人が触れるのかもしれません


「法の下の平等」の下で
誤魔化してもらえる人と
誤魔化してもらえない人がいる


ある法律が絶対ではなく
他の法律との比較衡量が求められているので
この比較衡量の中で
ある法律は適応すべき状況において
適応されないことがある


クラスの人気者が
多少悪いことをしてもお咎めがなく
悪たれ小僧が
ちょっと悪いことをするとすぐに叱られるのは
この比較衡量が
人間の感覚として備わっているひとつの傍証なのだろう

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