ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:太陽を見失った地球の公転軸


どこまでが意識なのだろう


痛みや
便意は意識の内だろうか?
それとも
意識の外から来るのだろうか?


視覚だって
意識の内と言えば内だし
外と言えば外になりそうである


記憶も
同じであろう


思い出すという動作で
外から内へ記憶が移動しているように思われるのは
内と外の境界あたりに記憶があるからなのだろう


心地よい感覚や
痛みのように心地の悪い感覚も
意識の内と言えば内だし
外と言えば外になる類のものである


こうした
意識を取り巻く環境たちに囲まれて
意識は
八方美人を演じようと懸命に立ち回る様に予定されているらしく
日夜アンテナを伸ばし
対応に追われている


実に多くのものたちに囲われて
多忙である


このような多忙の上に
電話で割り込むように
言葉が行き交う


「ああすべきだ」
「いや違う
 そこはこうすべきだ」


この騒がしさから逃れるために
思わず
目を瞑りたくなる


あらゆるものを遠ざけて外に置き
純粋な意識に戻ってみるのである


きっと何もない世界へのあこがれ


その果てに
相対の座標を失い自らの一をも見失う


太陽を見失った地球の公転軸のように
何もなくなるのである


仕方がなく
また
八方美人の喧騒を繰り返すために
目を開けなければならないだろう

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