ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

社会の強靭な組織化の象徴としての超人


自分は小さな存在である
取るに足らない存在である


こう思ってしまう時間がある


ある意味
正解だから仕方がない


個人は大きな意味で代替性のある部品であるからだ


生命の循環が途切れない様に
この循環が束になり廻っている
ひとつの線が切れても他の線により束が維持される
このような代替性を進化させることで
生命は営みはより強固なものとなってきた


生命の末裔たるもの
生命の代替性の進展により

全体の中で小さな存在となり

取るに足りない存在になることは
自明の帰結だ


ただ進化は
代替性の進展ばかりに働いてはいない
生命の循環の束の一本一本を
強くしなやかなものへと進展させてきてもいるのだ


一本一本の循環の内部で
さらに細い線がたくさん集まり束となり
一本一本を強く支えるようにも進展しているということだ


多数の細胞ひとつひとつが

力強く活動し
疲弊したら新鮮な細胞へと機能を代替的に受け渡しながら

ひとつの身体が機能している


宇宙の中で
地球は取るに足りない小さな星かもしれない
それでも
太陽の周りをまわり続けている限り
毅然と存在している
凛として運動し続けているのだ


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メモ


ニーチェ先生の万能な超人は
社会を擬人化したものだろうか?


社会が進展すると
個人は専門的になり弱体化してくるのだから
個人が超人化するとは思えない


社会が進展すると
個人の社会への依存が強くなり
極端に言えば
社会の存在なしに生命の存続する容易ならなくなるほどに
弱体しうるからだ


象徴的に言えば
社会の進展に伴い
人間は野生に戻れなくなるからだ



あの人は何もしてくれない
社会は義務を放棄している


権利を主張する背景に
個人の弱体化がある


弱体化に伴い
義務を背負わざるを得ない状況に陥る


この義務により
個人の社会的従順な活動が担保されると
社会の中で
個人間の共役が成立する


この共役の集積により
社会は大きな生き物となり
人間は細胞のように
代替性の効く社会の部品として
よく機能するようになる


超人の成立だ


神も
もしかしたら
このような超人を目標に設定されている
・・・・のであろう


ただ
個人間の共役は
細胞間の共役のようにはいかない
共役が不完全だからだ
細胞のように
常に共通の情報の支配下にある保証がないのだ
共役に近い適応に過ぎないからだ


人間の情報は書き換えが利く


超人も神も社会も
この機能に敬意を払わなければ
機能としての人間を失うことになる

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