ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

共役と代替で紡がれる命たち


生命は
秩序だった共役的な反応が
連鎖的に循環することで維持されている


この連鎖的な循環が途切れると
個体であれば死を迎えるということになり
種属であれば絶滅ということになる
したがってこの連鎖の継続性が
自然淘汰で問われているということになる


継続性は
むろん
共役がうまく循環することによるが
これ以外にも
代替がうまくいっているか否かにもよっている


駅伝のタスキがうまくつながることも大事だが
駅伝としてのルールには違反することにはなるが
区間ごと二人の選手でタスキを運べば
ひとりの選手がアクシデントで走れなくなっても
もう一人の選手が次の区間までタスキを運ぶことができる


新しい命の産出は
代替性の増加と評価される出来事だ


命の循環が継続するためには
ひとつの命だけでは頼りない
沢山の命が循環を継続して時を超えてゆく


しかし代替としての循環の部分間は
共役ではなく競合の関係が生じる


生存競争は代替の部分間競争と評価できる


紛争も
生命が循環を継承するための
手段としての代替性増加に伴う
一局面ということだろう


ーーーーーー
メモ


個人間の紛争は
両当事者が信奉するシステム間の競合関係を
それぞれが代理することにより
生じる現象である


システムが重層的存在しており
夫婦間紛争は
家族(夫婦の絆)というシステムを
両者が重視していると

小さくなるが

たとえば
それぞれの実家というシステムを
両者が重視すると紛争性が高まる
あるいは
それぞれの身体的本能的欲求を重視するとこによっても
紛争性が高まる


宗教や政治にかかわる
個人間の紛争も
システム間の代理戦争だ


個人というものは
システムの部分として
実に様々な役割を負い
システムの継続の維持に貢献している


役割は
①システムの連鎖的循環を進め

②その阻害要因を排除することだ


②にばかり目を向けるより
①に目を向けるような
自然淘汰の理論が好ましい


①が主目的であり
②は副次的要請であることを
②を実践するさなかにおいても
忘れてはならない


そうでなければ
本末転倒になるだろう


・・・・そう信じたい



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