ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

得ること 失うこと


元来怠け者の私は
空を飛ぶ翼よりも
葉緑体を持ちたかった


水と太陽の光があれば
自分で栄養を自動的に作れる
そうなれば
働かなくても生きていけることになる
とすれば
勉強もする必要がない
学校も宿題も無縁の世界が開ける
こう考えていた


これは
天使の羽のような発想だ


とってつけたような夢ということだ


今ある機能に単純に新しい機能を
付け加えるだけの
練られていない
現実的ではない単純な発想でしかない


葉緑体を持つと
いいことだらけのような気がしていたのだが
葉緑体を持つことの本当の宿命を
考えもしていなかった



翼があっても
鳥のように体を軽くしなければ
空を飛べない
これと同じように
葉緑体があっても
きっと他の大切な何かを失わないと
自作の栄養だけで暮らしてはゆけないのだろう



ああいやだ
失うものを考えずに
夢を見ることができるから
おめでたいのに、、、、


現実的に考えると
夢がしぼむ


ある意味
本末転倒だ


ーーーーー
メモ


動物行動学において
利他的行動と利己的行動が
分けて思考されてきた


次第に
社会学でも
心理学でも
一般的にも
利己的の反対語として
利他的という言葉が
ひろく使われるようになってきた


皆が利他的な世の中になれば
なんてすばらしいんだろう


このような利他的な世界は
夢に見るもので
現実的でない部分があるのは
翼や葉緑体と一緒だ


利他的行動と仲間意識というものは
どうも相関しているらしく
仲間に対しては利他的行動をし
仲間以外には利己的に行動し
排除あるいは無視するようになるのが一般的のようだ


人間的に表現すると
動物たちも
敵か味方か
しっかり区別をする機能が発達している


この区別の上で
接し方を決めているようだ


単純に翼をつけるような博愛主義は
なかなか現実として成就しないのは
このあたりに原因があるだろう


仲間がいないと
寂しいものだ


仲間を作ると
敵が生まれる


敵が生まれると
博愛は消え失せる


仲間とか敵とか
好きとか嫌いとか
こんな馬鹿気たものが消え失せると
事務的で官僚的な
博愛に似た
画一的な社会が生まれてくるのかもしれない



知っている人と
知らない人を区別すること


このことを放棄することにより
失うものが沢山ある


博愛も
美しい
とってつけたような夢なのだろう


だからといって
夢としてただ捨て去ることはできない


理想であるからだ


目的論的に正当化される観念だ

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