ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

引きこもりの記事を眺め考えたこと


カッコウは
優雅に鳴いている


托卵して
ウグイスなど
赤の他人に子育てを任せていると聞くから
なおさら優雅に聞こえる


騙されている
ウグイスは
自分の実の子が巣から押し出され
カッコウの子だけになっても
その子にせっせと餌を運ぶ


なぜ利用されていることに気づかないのだろう
なぜこんな理不尽が許されているのだろう


このように考えるのは
人間の理性の働きだ


ウグイスにしてみれば
巣の中で開けられている口に
餌を与えるという
反射的な反応に従って行動し
理性的に
「自分の得になるかどうか?」
などという俗なことを考えていないのだから
純粋だ


ウグイスのような立場になりたくない
カッコウの方がいい
そう理性が指し示すがゆえに
なぜか
カッコウを敵視し
ウグイスに同情してしまう


カッコウのような人よりも
ウグイスのような人が好きなのだろう


自分を棚に上げ
ウグイスのような人を探しているからだろう


もしかしたら
ウグイスの様にすることを良しとするからだろう


いずれにしても
ウグイスを探したり
ウグイスのふりをしたりしながら
社会が循環している部分があるわけで
ウグイスのふりを止めたりとか
ウグイスのふりをするべきだとか言って
紛争がおこるのは
ある意味
仕方がないことなのだろう


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メモ


カッコウが
何かウグイスの役に立つことをしていれば
極悪人の地位から少しは降ろしてもらえるだろう


見返りを求める愛は真実の愛ではない
そう言われても

ウグイスになりたくないという思いを
なかなか鎮められないから

カッコウは悪者になる


しかし
カッコウにも悪くないところがある
騙してはいるものの
無理やり強制しているわけではない


ウグイスに対して
直接手出しをしていないのだ


周辺を固め
他にやりようがないような状況に置かれ
本当はやりたくないのにやらされている
そういう思いをさせるような
がんじがらめの手出しはしていない


要は
甘ちゃん同士の駆け引きのようなものだ
あんな手に引っ掛かるなんて
騙される方も騙される方だ


その手の駆け引きだ


カッコウすら
人間社会では
良いカモにされる類の生き物でしかないだろう


騙しやすいウグイスにばかり
養ってもらったカッコウは
人間社会の荒波の中では
せつない思いしかできないのかもしれない


騙そうとして騙されてばかりいる悲劇から逃れるには
いっそ
ウグイスの様に騙されても騙されても
それを受け入れ
優雅にホーホケキョと鳴いてみたり
ケッキョケッキョケッキョと
せわしなく鳴いてみたりすれば
楽しく暮らせるかもしれない
それが
無償の愛へと
近づける道でもあるだろう

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