ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

イソップのコウモリ


獣の王様がいて
鳥の王様がいて
それぞれの周りに
それぞれの仲間が集い
集団の間で争いがあったりする


どちらにも
属することができるコウモリは
特殊な存在だ


どちらからも嫌われることもできるし
どちらからも好かれることもできる潜在にある


どちらに転ぶのか?


その展開が
イソップの物語の肝であろう


争いの種をまき
争いを助長する選択もあれば
融和の種をまき
調和を促す選択もある
そんな両義性のなか
コウモリはどう生きたのかが物語だ


わたしたちはどう生きるのか?


人にもたくさんの選択肢がある
流されながらも
いくつもの別の流れを
垣間見る


そして
「どういきるか?」
などと呟いてみたくなる
高尚な生き物であるらしい


ーーーー
メモ


物語は
流れるように進行する


読む者もそれに流される


それに抗しようとすると葛藤が生まれ
物語と対峙することになる


反抗期だ


物語と徒党を組むことから
しずかに離れるけれど
それを眺め続ける反抗期だ



イソップのコウモリの話は
紛争の解決とは
逆の方向へ関与してしまったコウモリの話だ


ただ
甲が甲といえば甲に流れ
乙が乙といえば乙に流れたコウモリの話だ


コウモリを弁護すれば
甲や乙の作った物語を誇張して同意していただけで
結果として
相手を一緒に攻撃することになった


「そうはいっても」と
攻撃の流れをせき止めなかった
コウモリの見識の狭さは否定できないが
あの場で
甲や乙と異なる意見を
正面から言うことはできただろうか?



物語の筋書きは
役割に応じてなされる分かれ道の集積だ


私の役割は
流れを促すことなのか?
流れをせき止めることなのか?
かような二人の私が現れて
それを眺めるもう一人の私が
どちらもがんばれと頭の中で議論を促す


一人目の私は獣組
二人目の私は鳥組
三人目の私はコウモリ組といったところか


この三人は議論に飽き
内心
議論を収束させてくれる
4人目の私の出番を
待ち望んでいるのかもしれない


この4人目は物語で言ったら
読者の役割かもしれません


私の中の4人目の私は
今頃どこいら辺で遊んでいるのだろう

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