ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

理屈に満ちた社会の中で


男女差別はいけないという


  年齢による上下関係も同様だろう
  子供も大人も年寄りも
  同じ人間だ
  同じように接しなければならない
などと屁理屈を連ねてみたくなるのが
へそ曲がりなのだろう


保護をする側と
保護される側がいるということは
区別であり
差別ではないらしい


しかしながら
保護が行き過ぎると逆差別という言葉にもなる


保護される側が
理屈を言い合い
「我こそ保護されるべきである」
そう主張し合える時代は幸せだ
保護するだけの社会の余力や余地があるから
それを奪い合えるからだ


奪い合う余力や余地がなくなるまで
懸命に奪い合いをするのがのも
生命の力強さだ
むろん
奪い合い支え合うよりも
独力で生きてゆくのも
生命の力強さだ


♪かあちゃんのためならエンヤコリャ♪
男女差別の背景にあったやさしさも
役割分担の身分的重石が外されて
削がれて始めてきているのかもしれない


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メモ


産業革命により
生産力が増大し
社会に余力も膨らんだ


この余力をどのように配分するのか?
この問いに対して
  資本家や起業者が
  この配分を受けることにより
  生産力の増大に拍車がかかり
  より多くの余力を社会にもたらすことができる
このように考えるのが資本主義だろう


社会の余力が大きくなり
そのおこぼれにあずかるのが
政治家や労働者や非労働者ということになろう


おこぼれの配分は
資本家や起業家への貢献度に応じて
決められるのが資本主義ということか
そして
このような資本主義が基軸として
先進社会が成立し
それを修正する理屈として
功利主義や
個人主義や
平等主義などが
うごめいているように感じられる


おこぼれの配分を巡る理屈たちの戦争だ


これらの理屈たちは
おこぼれを前提として戦っているので
おこばれを生み出す資本主義には
皆忠実なところがある
そこで
首尾一貫しなくなり
一長一短を繰り返す理屈となる


資本主義と対立関係にあるのは
地球環境問題を解決しようとする環境主義だろう
資本主義とどう対峙できるのか?
資本主義の周りに集う
様々な資本主義に忠実な理屈たちとも
対峙しなければならないだろう


生きやすさをめぐるバランスが
問われてゆくことになるだろう


経済にないがしろにされる命の営みが
どこまで主張してゆけるだろうか?


男女はどこまで同じになれるだろうか?
地球はどこまで大きな器だろうか?
これらは
道端の消費生活からすれば
遠い疑問だ

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