ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

露天風呂におけるエポケー


露天風呂につかり
立ち上る湯気を眺めながら
くつろいでいる時にさえ
湯気の立ち上る様の観察しているのか
「風が出てきた」とか
「風が止んだ」などと
頭の中に言葉がコダマする


湯気の立ち上る様を
一生懸命に評価しているからこそ
風の様子を推測し
言葉が生まれているのだろう


そこで
「これはいけない
 言葉を捨てて
 評価するなんて事をやめ
 知覚できる事にのみ集中してみよう」などと考えて
言葉を捨てようと努力してみるのだけれど
すぐに
なにがしかの言葉が湧き上がる


「いけない いけない」などと
再び頭を言葉で言い聞かせて
また
言葉を捨てようと努力するのだけれど
頭は言葉の池を波立たせることが大好きのようだ


口から発せられる言葉も
とてもたくさんで閉口することもあるのだけれど
頭の中でうごめく言葉のほうがはるかに多い


このように
頭のなかでコダマする言葉に閉口しながら
しかめっ面をするよりも
頭の中の言葉を捨てて
露天ぶろを心底楽しみたい


そう
頭の中で
言葉が波打ちコダマする


ーーーーー
メモ


頭の中で
言葉が言葉を呼ぶ連鎖を断ち切ると
頭の中の現象を考察できるという理論が現象学で
この連鎖の分断する行為をエポケーというらしい


心理学も
言葉や無意識の連鎖を研究する学問なので
心理学と現象学は関連し合ったいるのだろうけれど
目には見えないこのような連鎖がどのようなものかを考える
「連鎖の原理」を追及する色彩が現象学で強く
連鎖によりどんなことが
目に見える現象として現れれるのかを説明する
「連鎖の結果」を追及する色彩が心理学で強いのだろう


ブラックボックスの中で
なにがうごめいているのか覗こうとする現象学
それに対して
ブラックボックスに何を入れると
何が返ってくるのかを眺めて
ブラックボックスはこういうものだと
表現する心理学といったところか


ともあれ
目には見えない頭の中でおこる現象が
言葉になり
頭の中をコダマして
露天風呂のくつろぎを邪魔するのだから
エポケーして瞑想に近づき露天風呂を楽しみたい


しかし
よくよく考えれば
見えているものも
目には見えない言葉と同様に
騒がしく頭の中を駆け巡っている存在だ


見ている対象は目の外にあっても
見えているものは
頭の中にしかないのだから
見えているものも
言葉と同じようなものというわけだ


ただ
見えていはものは比較的安定しているけれど
言葉はやたらとガチャガチャと動き回り
唐突に現れたり消えたりするから
夏の夜の蠅や蚊のようにうるさく
大迷惑な時がある
だから邪魔者として排除したくなる悪役にもなる


このような
言葉の大げさな立ち振る舞いも
功を奏するときがあるのだから
うまく
おつきあいしてゆかなければならないのだろう


一寸の虫にも五分の魂


蠅や蚊にも
言葉が生きてゆくのとおなじような
生きる道理がある


大迷惑であることも
生きている事の証ということで
仲良く折り合いをつけてゆかなくてはならないだろう


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