ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

人為的存続の遠景・中景・近景


伊勢神宮では
遷宮を定期的に繰り返している


古くなる前に
新しくする


時代を超えてゆく
基本的方策だ


こんな人為的存続が
私の遠景にある



通っていた学校の校舎が
壊された


思い出も
少し壊されたような気がした


私の中景にある学校が消えてゆく
学校は新しくなるけれど
私の学校は消えてゆく


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メモ


思い出は
私の私秘的なものであり
学校は公的なものだ


私がいなくても
学校はあり続ける
だから
壊されて新しくされても
私は眺めるだけだ



お金も学校と同じで
公的なものだ
だから
私にお金がなくても
世間にお金があればそれでいい
でも
それでよいのか


私の学校がなくなり
新しいみんなの学校ができれば
まあ、それでいい
ところが
お金はどうだ
みんなのお金があれば
ああ、まあ、それでいい
とは思えない
やはり
みんなのお金ではなく
私のお金が欲しい
むしろ
あの人が金をたくさん持っていることが
悔しかったり
うらやましかったりする


もっともっとお金が欲しい
誰のものでもなく私のお金があればいい
だから
お金のために私を報じる


そんなお金への執着が
私の近景に頑として存続している


アダムスミスによれば
この近景が
大きな経済という遠景を維持する力になっているらしい


建て替えられた学校や
伊勢神宮の社の一部にも
もしかしたら
私のかけらが
わずかながら染みついているだろう

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